2009年03月13日(金) |
書評『猫を抱いて象と泳ぐ』〜小川洋子 |
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小川洋子の作品には「イタい」人が登場する。『博士の愛した数式』の博士がまさにそうである。今回紹介する作品『猫を抱いて象と泳ぐ
』の主人公もある意味とっても「イタい」人である。しかし、そうした「イタい」人をこよなく愛するオレだからこそ、彼女の書く作品にいつも癒されるのかも知れない。 「博士の愛した数式」「ミーナの行進」同様にこの作品は「読み終えてしまうのが惜しい」のでゆっくりと読みたいという気持ちと、面白いのでついつい引き込まれてどんどん読んでしまうという興味の間で翻弄されたのであった。
冒頭に登場する百貨店の屋上の場面、子象の時に連れてこられてそのまま百貨店の屋上から降りられなくなってしまい、37年間そのまま屋上で生涯を終えたインディラの物語は、この作品の重要な伏線となっている。その意味は最後まで読んだときにわかるようになっているのだ。
オレはチェスをしない。将棋は得意だが、チェスは駒の動かし方を知ってるくらいである。そういうわけでこの作品に登場する棋譜の意味は正直よくわからなかった。美しい棋譜を残すことの意味もオレにはわからない。ただ、チェスを通じて対戦相手と対話するというのはわかるような気がする。この作品の主人公である、リトル・アリョーヒンと呼ばれた少年にとってはあの白黒の升目がそのまま世界そのものだったのだ。
チェスのことをほとんど知らないオレは、アリョーヒンとはいったい何者なのかを知るためにウィキペディアで検索してみて、盤上の詩人と呼ばれた伝説のチェスプレーヤーであったことを確認した。
すぐれた小説は常に読者をよい意味で裏切る。次はこんなふうになるのではないかという予測を無意味にするからだ、なぜこの作品はこんな題名なのか。その理由はかなり最後に近づいてからやっとわかるようにできている。最初オレはこの小説を、とてつもなくチェスが強い少年の成長の物語であると思っていた。天才チェス少年が強敵を次々と打ち倒して、最後には世界チャンピオンになる・・・という物語だと思って読み進めていったのだが、そんなありふれた安っぽいストーリーじゃない。もっと奇想天外で、荒唐無稽な物語なのである。その意外性がまたこの作品の魅力なのかも知れない。
「博士の愛した数式」の中で数式や証明の美しさを語ったように、ここでは棋譜の美しさが語られる。もしも自分がチェスに詳しく、そこに書かれている棋譜を盤面に再現しつつ読むことができたならば、もっとこの面白さは増しただろう。そのことを読み終えてからとても残念に思うのである。
少年には恋人のように心を通わせられる相手が登場する。しかし、本当に心が通い合っていたのか、それが世間で言うところの「恋愛」という感情だったかというと少し違うような気がする。しかし、その彼女との交流は作品の重要な柱となっているのである。
読み終えた後でオレは、猛然と誰かとチェスをしたくなってしまった。おそらく多くの読者がそんな気持ちになったことだろう。
お勧め小川洋子の本
博士の愛した数式 (新潮文庫)
完璧な病室 (中公文庫)
犬のしっぽを撫でながら (集英社文庫)
凍りついた香り (幻冬舎文庫)
ミーナの行進
ブラフマンの埋葬 (講談社文庫)
アンジェリーナ―佐野元春と10の短編 (角川文庫)
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