江草 乗の言いたい放題
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2009年02月08日(日) 大阪府の高校教育のあり方について        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan

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 大阪府の橋下知事は、貧しい家庭でも努力すれば高い学歴が得られるようにと公立高校の復活に取り組んでおられる。私学教員のオレとしてはぶっちゃけた話、ライバルである公立がよくなってもらうと困るのだが。十数年前に「こんなことやってると公立はダメだな」と思ってオレは公務員を辞めて飛び出し、その予想通り公立はその後一気に没落した。オレの母校である生野高校は一時は京都大学の合格者を30名近く出していたが、最近は2、3名である。もう進学校とはとても呼べないお粗末な状況になってしまった。そんな中で橋下知事の打ち出した方針は、公立高校の中から10校ほどをスーパー進学校としてセレクトして、そこだけ学区制をとっぱらって大阪府全域から受験できるようにして競争させることと、その入試を他の公立高校に先立って2月中に実施して、高校段階で私学に流れる生徒を取り返すという作戦だった。

 もしもそんなことをやられれば、私学は大打撃である。限られた成績のいい生徒を奪い合うわけだから、それが根こそぎ公立にとられることになる。また受験パターンも変化する。これまでは「滑り止めに私学の合格を確保→本命の公立高校をチャレンジ受験→もしも公立トップ校に不合格なら私学に入学」というパターンだったのが、これからは「スーパー進学校にチャレンジ→失敗したらレベルを落とした公立に確実に入学」というパターンになって、私学の出る幕がなくなってしまうのである。 

 しかし、実施されれば再び大阪で公立高校が君臨する可能性があるその橋下案に対して、中学校長の多くが反対したという。どうもオレにはわからないのである。何で反対するのだろうか。まあそういう反対によってポシャってくれる方が私学にとっては好都合なのである。

 ここで大阪府以外の方のために、大阪の公立高校の歴史について簡単におさらいしておきたい。大阪府はもともと公立高校が圧倒的に強く、その公立高校の頂点に立つ橋下知事の母校・北野高校は京都大学の合格者1位となっていた。他の公立高校も三国丘、天王寺、大手前、茨木とそれぞれ京大、阪大へ多くの合格者を出していたのだ。東京大学の合格者がそれほど多くなかったのは地域的なものであり、ただ単に受験しに行かなかったからである。私立高校は公立のおこぼれをいただき、どちらかというと関関同立などの有力私大を目指させるか、あるいはもっと出来の悪い箸にも棒にもかからないような難儀な生徒の受け皿となっていたのである。

 さて、1971年に大阪府知事となった黒田了一は、老人医療費無料化とともに公立高校増設を公約として掲げた。「15の春を泣かせない」というスローガンで公立高校の数をほぼ倍増させたのである。そうして増えたのはほとんどが全日制普通科で一学年12クラス45人学級のマンモス校であった。これは私学にとっては存続の危機であった。黒田知事の2期8年間に公立高校はどんどん造られたのである。その結果として大阪府では最底辺の成績の生徒も公立高校がカバーすることになってしまった。中学の授業に全然ついていけてなくても、ちゃんと偏差値ランキングの輪切りによってそれに合わせた公立高校に入れた。公立高校の入学試験で9割近く取っても不合格の高校もあれば、1割くらいしか取れなくても合格という信じられない格差が出現したのだ。オレはそのことにどうしても納得がいかないのである。

 およそ高校教育を受けるに値しないレベルの低学力の生徒までも、府民の税負担によって運営される公立高校が引き受ける必要があったのかどうか。そうした高校は当然のことながら荒廃し、校内暴力が発生し、教室は落書きだらけとなり、中退者も多くもはや高校の体をなしていなかった。それらの高校は「指導困難校」「底辺校」と呼ばれることとなった。

 黒田知事が福祉を重視し、公害企業の責任を追及したことはそれなりに成果を上げたとオレは思っている。大阪の空は少しはきれいになったし、東京都に美濃部知事が登場したこのころは高度成長の歪みに人々が気づいた頃だったからである。しかし、人々が再び繁栄の夢を追い、バブルへと突き進むのもまた世の摂理なのだ。やはり景気が良くてゼニがあることを多くの人が望むのである。2期8年の黒田府政の後、1979年の知事選挙で岸昌(きし・さかえ)は、「公害対策は企業の生産性を圧迫する。メダカやホタルが府税を負担してくれるわけではない」と企業擁護の立場に回った。そして僅差で共産党が単独推薦の黒田了一を破ったのである。ここに大阪府の教育行政も転機を迎えることとなった。

 岸昌知事は公立高校の増設をストップした。クラスの人数を増やすことで当面をしのぎ、その一方で溢れた生徒を私立高校に引き受けてもらうという方針を打ち出したのである。その結果生徒減にあえいでいた私立高校は救済され、後に公立7:私学3の割合で定員を調整するという動きにつながっていく。これによって私立高校も一定の生徒を確保できることとなり、共存体制ができあがったのである。

 オレが大学を卒業して公立高校の教員となったのはそんな時期だった。伝統校でありながらさほど進学教育に力を入れていない田舎の高校に赴任したオレは、そのぬるま湯然とした雰囲気に対して反発し、「なんでもっと生徒を鍛えて勉強させないのですか?」と噛みついた。しかしあるベテラン教師はそんな私に「そうやって勉強させてもみんなが京都大学に入れるわけでもないだろう」と笑い、「女に大学教育はいらん!短大で十分だ。」と公言する体育教師もいた。そんな環境下でオレは必死にゲリラ補習を行い、生徒に国公立大学受験を勧めた。そんな努力が少しずつ実を結んだ頃オレに与えられたのはいわゆる「指導困難校」への転勤辞令であった。大学に入学する者がほとんどいないような高校で、いったいオレに何ができるのだろうか。

 大阪府教委はそのころ、伝統校の教員を「強制異動」という形でどんどん動かし、高校間格差を無くそうというびっくり仰天の方針を打ち出していたのである。10年以上同一校に勤務している教員はどんどん異動させられた。進学の実績を上げきた伝統校で進学教育の中心となっていた教師たちは、数十年のその学校の伝統を支えてきたという実績は全く無視されて転勤させられ、その中には失意のうちに教師生活に見切りを付ける者も多かったのである。

 これまで伝統校が築いてきた教育や文化を破壊するその方針に対して、オレは絶望して辞表を出し、公務員の地位を失った。1993年のことである。オレは10年間公立高校で勤務したことになる。

 大阪府の公立校が進学実績を急激に落とし、逆に私学が台頭したのはそうしたことが背景だったのである。私学の側の努力によって進学実績が向上したという側面ももちろんあるだろう。しかし、「公立高校にいても現役で大学進学できない」という消極的理由から私立高校へ進学させる親も多かった。公立トップ校でさえも、現役進学率が2割、3割というところがザラになった。公立高校が多くの浪人生を出してくれるおかげで、予備校はウハウハ儲かったのである。

 しかし、大学がやたら増加してどっかに入れるようになったことと、18歳人口がピーク時の7割くらいに減少したことで浪人生自体が大幅に減少した。関関同立などの私大上位校は定員を大幅に増やした。関関同立はこれまで偏差値60以上くらいをカバーしていたのが、53くらいまで下に降りてきたのである。そうすると関関同立の下の産近甲龍(京都産業、近畿、甲南、龍谷)クラスは偏差値50以下の受験生を拾うことになった。玉突き的にどんどん入学試験の偏差値レベルが下がっていったのだ。最底辺の私大は希望者全員入学という状況になった。もちろん定員を満たせればまだマシであり、定員を集められない大学も次々出てきたのである。その結果、公立高校の底辺校とされる高校からもそうした大学には入れるわけで、見かけの大学進学率は向上した。底辺校とされる高校の進学率が向上したからといって、中味が改善されたわけではない。大学が誰でも入れるようになっただけである。荒れた高校から、ニート養成所みたいな大学に進学して、そこで講義の間はゲームをしたりメールを打ったりして過ごす連中が増えただけのことである。とある私立女子短大で教える友人は語る。「昔は学生の私語が多かったけど、最近はみんなメール打ってるから静かになりました」と。
 
 スーパー進学校の設置の次にやってくるのはおそらく中高6年一貫の公立校の設置だろう。そうして中学段階から私学に奪われた優秀な生徒を公立に取り返すという政策を橋下知事が繰り出してくる可能性は高い。実際京都府や和歌山県では中高一貫の公立高校がすでに設置され、優秀な生徒を集めている。

 私学教員であるオレは正直言って、あんまり公立が強くなって欲しくない。いい生徒が奪われてしまうからだ。しかし、私学の授業料の高さを思えば、貧しい家庭の子弟であっても高い学歴をつけるチャンスを与えたいという橋下知事の意図することはもっともだと思う。そこでオレが考えるのはもっとも学力が低い層を公立高校がカバーする必要があるのかということだ。入学者の3割、4割が中退してしまう高校を維持するためにどれだけの府民の税金が使われていることか。授業をろくに聞かずにDSのマリオカートをクラスのみんなが通信対戦してるような連中のために、生徒一人当たり30万〜40万の公費がかかっているのである。それこそが大いなる無駄ではないのか。

 そもそも勉強をやる気がないし、学力も低いけど高校の卒業資格は取りたいという連中は、高くても授業料を負担させて私学にはいるべきではないのか。それが受益者負担というものではないのかとオレは思うのだ。そのレベルの公立高校はすべて解体して、資金も教育資源も一定以上のレベルの高校に集中させる。そして教育困難な生徒は私学に引き受けてもらう。その代わり私学には補助金を手厚くして、貧困故に学力が身につけられなかった生徒たちのための奨学金の給付制度も充実させる。しかし、それは単なるバラマキではなく、やる気のない生徒には与えないで即座に打ち切る選別が必要だ。きちっと勉強しないと公立高校に入れないということになれば、崩壊している中学教育の現場も建て直すことができる。今は「勉強しなくても誰でも入れる公立もある」から勉強しないのである。

 もはや公立学校の教員ではなくなったオレには大阪府の公立高校のあり方について語る資格はない。もしもオレがそのまま公務員の身分を保っていて、どこかの公立高校でその学校を建て直そうともがいていたのならば公立高校再生プロジェクトの企画立案者として関わることもできたかも知れないが、今は全くの部外者である。どっちかというとライバルであり、敵である公立高校が自滅することをひそかに望んでいる立場である。もしも橋下知事が大阪府の教育建て直しのためにオレを起用してくれるとしても、少なくともオレが満足するような条件を提示するだけのゼニは大阪府にはないだろう。ボランティアで引き受けてやる気はオレには全くない。公立高校時代のかつてのオレの恩師たちももうほとんど鬼籍に入ってしまった。自分が世話になった教師がもう一人も残って居ない母校にはもう何の感慨もない。伝統校の文化を破壊するというのはそういうことなんだ。

 オレがかつて卒業した大阪府立生野高校には、数十年にわたってその高校の伝統を支えてきた名物教師たちがいた。その強烈な愛校心とカリスマ性で生徒たちから慕われた教師たちがたくさんいたのだ。それを大阪府教委は強制的な人事異動を推し進めて完全に破壊しつくしたのだ。それがどんな結果をもたらすのか予想できなかったのだろうか。

 橋下知事はおそらく「貧しい家庭の子弟であっても、努力さえすればチャンスをつかむことができる」ようにしたいのだろう。それは無条件に良きことである。階級が固定化ししてしまった社会よりも、個々人の努力によって将来を変えられる方がいい。もしも20年の遅く生まれてきたなら、貧しい家庭に育ったオレは京都大学に入れることなどなかっただろう。今は貧富の差がそのままダイレクトに学歴に繁栄するようになったからである。日本国憲法には「国民はすべてその能力に応じて教育を受ける権利を有する」とある。少なくとも機会はすべての子どもに平等に与えられるべきだ。

 橋下改革がどんな方向に進むのか、オレは一人の教師としてどこかで期待しつつ見守っている。オレにできるのは、自分に与えられた環境下でベストを尽くすことだけである。


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