2008年12月25日(木) |
お母さん、どうしてもわたしを病気にしたいの? |
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児童虐待とよく似た行動、つまり我が子を傷つけたり病気にしたりする行為を行う精神疾患に代理ミュンヒハウゼン症候群というのものがあるという。なんでも病気の我が子を献身的に看護するいい親を演じたいからと、わざと我が子を傷つけたり病気にしたりするというとんでもない行動をとるのである。そんなとんでもない母親が捕まった。産経新聞の記事を引用しよう。
【腐敗水点滴】「これまでにもやった」 五女は入院後に感染症2008.12.25 00:04
入院中だった1歳10カ月の五女の点滴に腐敗した液体を混入したとして、殺人未遂容疑で岐阜県関市の無職の女(35)が逮捕された事件で、五女は11月27日に胃腸炎で同県内の病院に入院し、直後から重い感染症を起こしていたことが24日分かった。今月2日に五女を受け入れた転院先の京都大学付属病院(京都市左京区)は「何らかの人為的な混入があり、感染症にかかったのではないか。転院時にはすでに重い症状だった」としている。
女は京都府警の調べに「これまでにもやった」と供述しているといい、府警は、女が以前から同様の行動を繰り返していた疑いがあるとみて調べている。
京大病院によると、五女は転院後の検査で通常は血液中に存在しない複数種の細菌が検出され、症状が悪化したため7日から集中治療室(ICU)に入った。
一方、五女の転院直後から女の行動に不審な点があったため、病院側が11日に府警に連絡。12日以降、ICUのビデオカメラの映像を録画し、注意を払ったところ、22〜23日に、女がカメラに写らない角度で点滴につながる管を隠し、五女を抱きながらポケットから物を取り出す様子を確認。府警が事情を聴いたところ注入を認め、所持品から複数の注射器が見つかった。
女は、1日2回の面会時間には必ず訪れ、五女を長い時間抱くなど熱心に看病し、離れたくない様子だったという。府警は、女が、子供などをわざと傷つけて看病するような行動がみられる「代理ミュンヒハウゼン症候群」だった可能性があるとして、動機や経緯を慎重に調べている。
怪しいと思った病院側が監視カメラを仕掛けて、それでもこの母親は監視カメラに映らないようにと工夫して点滴に異物を混入したのである。普通なら「怪しまれてるな」と思ったらやめるところだが、どうしてもその行為をやめられないような状況にこの母親はあったのだろう。つまり、やらずにはいられないという心の病気だったのだ。もう少しこの母親の家族の事情について触れた記事があったのでそっちも引用したい。
【腐敗水点滴】義父絶句「利発な嫁が、なぜ…」 2008.12.25 00:00
このニュースのトピックス:虐待
「五女をかわいがっていたし、まったく信じられない」。逮捕された女と同居していた義父(73)は事件を知って絶句した。
女は関市内の一軒家で、夫(49)と長女(13)、五女、義父母の6人で暮らしていた。
女が岐阜県内の大学病院に駆け込んだのは11月27日。「(五女が)風邪をひいた」と訪れ、診察後に帰宅したが、五女の顔色が悪くぐったりしていたため、救急車を呼んで搬送。義父がどうしたのかと尋ねたところ「帰り道で気分が悪くなった」と説明したという。
女は平成6年に夫と結婚。しばらくは子宝に恵まれなかったが、長女、次女と相次いで生まれた。しかし、次女は1歳半ぐらいから入退院を繰り返すようになり、13年にわずか4歳で死亡。次いで生まれた三女も2歳で亡くなった。次女を亡くしたころから、女は部屋にこもり、インターネットで病気のことを調べることが多くなっていった。
義父母は当初別居していたが、次女の入院を機に、13年から関市内に2世帯住宅を建てて同居した。月1回は義父母も交えて食事をし、年1回程度は家族旅行もするような一家。女は家事もきちんとこなした上、大声で怒鳴ることもなく、子供たちをかわいがって育てていたといい、子供たちも母親のそばを離れないほど慕っていたという。
幼子が次々と亡くなったことで、義父母が「もう子供をつくらない方がよいのでは」と諭したこともあったが、夫婦は「長女を一人っ子にするのはかわいそう」と話したという。だが、四女も生後9カ月で死亡。家族の間では子供の成長の話をすることを避けるようになっていたという。
事件について義父は「息子から説明を受けたが、本当に利発な嫁だったし、そんなことがあったとは夢にも思えない。息子も信じられないと言っていた」。長女には自ら説明したが泣き崩れたままだったという。
一方、岐阜県中濃子ども相談センター(児童相談所)によると、これまで女の児童虐待が疑われたことはなかったという。石田公一所長は「もし、代理ミュンヒハウゼン症候群であれば、あまりないケース。子供の回復を待ちつつ、父親と相談しながら対処を検討したい」と話した。
さて、誰もがここで不審に思うのは、長女と今回の被害にあった五女以外の3人の子たちがすべて死亡していることだろう。次女は4歳、3女は2歳、4女は生後9ヶ月で亡くなっているのである。「他の子どもたちも同様の方法で殺したのでは?」と疑われても仕方がない。
オレが想像するのは、次女を看病しているときにこの母親はその「代理ミュンヒハウゼン症候群」になったのじゃないかということだ。全くの憶測だけれども、次女を「看病している母親である自分」であったときに得られた充実感や高揚感、それをもう一度手に入れようとして3女、4女を次々と病気にして結果的に殺害し、今度は五女にも同様のことを仕掛けたのではないかと言うことだ。
では、この行為を殺人や殺人未遂として罰することができるのか?オレはかなりの厳罰主義だが、この母親の行為をそうして裁けるかどうかというとかなり疑問なのである。というのは、この母親は明らかに精神を病んでいるのであり、だからこそそんな危険な行動を取るのだ。彼女にとっての加害の対象は今回は子どもだったが、もしかしたらそれは夫や親に対して行われたかも知れない。少なくとも彼女自身が看護に関わる可能性のある人はすべて彼女によって傷つけられる可能性が存在したということなのである。そして彼女の行動の動機は屈折しているが、いちおう愛情の現れの一形態なのである。
もしも自分の身内が全くいない世界なら生きていけるのか。いや、そこでもきっと友人を病気にして、「病気の友人を献身的に看護する人」という役回りを演じようとするだろう。そう考えればやはり誰かを傷つけなければならない宿命を背負った存在なのである。なんて恐ろしいことだろうか。
自分の幼い妹たちを次々と殺したのが、実は母親だったという事実を知った時、長女はどんな気持ちになっただろうか。世の中にはこんな救いのない悲劇があるのか。その母親はふだんはやさしい母親の仮面をかぶってるのである。そのくせ、周到に準備した腐敗水を点滴に巧妙に混入する冷酷さを兼ね備えているのである。
もしも自分がこの長女の立場であったならば、母親の犯した罪を許せるだろうか。自分の妹たちを奪ったその行為を決して許すことはないだろう。しかし、それでも唯一無二の母なのである。そんなとき、いったいどうやって接したらいいのだろうか。許すことによってしか相手を救うことができないのならば、やはり許さないといけないのだろうか。オレはやりきれない気持ちになるのだ。なんでこんなことするんだ。それしか言えないのである。
オレがこの虐待を受けた子たちの父親だったとしたら、すぐにこの狂気の妻を追い出して、二度と家には帰らせないだろう。とっとと荷物をまとめて消え失せてくれと罵倒するだろう。そして自分が残された子たちを精一杯育てようと誓うだろう。しかしその狂気が自分へと向けられたらどうするだろうか。もしも妻が、病弱の夫を支える献身的な妻という役目を演じたくて自分を病気にするようなことがあるならば・・・オレは愛情というのものの意味がわからなくなってしまうのである。
坂口安吾の小説 「夜長姫と耳男」の最後の場面で、耳男が夜長姫を刺した時、姫は「「好きなものは呪うか殺すか争うかしなければならないのよ」とささやく。この母親にとって自分の手で我が子を殺すことは、愛情の一つの完結だったのかも知れない。そう思うと本当にやりきれないのだが。
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