2008年11月06日(木) |
信号無視で人をひき殺しても無罪! |
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裁判官の中には世間一般の常識とは全く違った考え方の人がいる。名古屋地裁豊橋支部の伊東一広裁判官もその一人である。赤信号を無視して横断中の男性をはねて死なせた運転手に対して「無罪」という判決を下したのである。オレには全くこのことが理解できないのである。
危険運転致死罪の被告に無罪判決 「無呼吸症の可能性」 2008年11月5日20時13分
大型トレーラーで交差点の赤信号を無視し、自転車で横断中の男性(当時46)をはねて死亡させたとして、危険運転致死罪に問われた名古屋市中川区高畑1丁目、会社員荒浪裕之被告(45)に対し、名古屋地裁豊橋支部の伊東一広裁判長は5日、無罪(求刑懲役8年)を言い渡した。
伊東裁判長は「睡眠時無呼吸症候群(SAS)の影響で眠りに落ちた可能性が否定できない」と述べ、故意に赤信号を無視したとまでは言い切れず、危険運転致死罪を証明できないとした。
荒浪被告は3月5日午前7時過ぎ、愛知県豊橋市内の国道1号で大型トレーラーを運転中、赤信号を無視して交差点に進入し、自転車で横断していた男性をはねて死亡させたとして起訴されていた。
判決で伊東裁判長は、赤信号を確認してから交差点までの約100メートルにわたって加速も減速もしなかった行動を指して「信号無視する者の行動としては不自然」と指摘。SASの影響の可能性を否定できないとした。荒浪被告は07年7月の検査でSASが疑われ、今年2月に受診した再検査の結果、SASと診断されていた。
名古屋地検豊橋支部は「意外な判決だ。(控訴については)判決内容を詳細に検討し、適切に対応したい」と話した。
クルマを運転して眠くなると、オレはコーヒーを飲んだりクルマの中で大声を出してみたり、速度を上げて緊張感を高めたり、あれこれと工夫をして絶対に寝ないようにと努力する。もしも居眠り運転をしてしまえば重大な事故につながるからだ。居眠り運転というのはドライバーにとって大きな過失であり、絶対にそんなふうにならないようにあらゆる対策を講じるのがドライバーの義務だとオレは思っていたのである。しかし、その居眠り運転に「睡眠時無呼吸症候群(SAS)」というお墨付きがもらえればもう安心、いくら人をはねて死なせても暴走しても「無罪」にしてもらえるのである。なんと画期的な判決だろうか。
職業ドライバーのみなさん、今すぐに悪徳医師に頼んで「「睡眠時無呼吸症候群(SAS)」という診断書を書いてもらって、それをクルマの中に常備しておこうじゃないか。万一の事故の時はその診断書を警官に見せよう。「だってわたしSASですから、罪にならないんでしょ!」と胸を張って言おう。それで文句を付けてくる警官には「オレに文句があるなら名古屋地裁豊橋支部の伊東一広さんに言ってくれ!」と答えればいいのである。
「睡眠時無呼吸症候群(SAS)」と診断された人が100%事故を起こすのか?答えは否である。つまり、交通事故になるかどうかは本人の努力次第であり。偶然に左右されるものではないのである。もしもこの判決が認められるならば、オレはそのような病気をの持つ人に免許を与えた側の責任、そんな危険人物にトレーラーを運転させた側の責任を問いたい。もしもオレがひき殺された遺族の側の人間ならば、この無罪判決は断じて許せないのである。
このトレーラー運転手にSASの疑いが出たのが2007年7月、そして2008年2月の再検査でSASと診断されていたのになぜそのまま大型トレーラーを運転させていたのか。病気が治るまで少なくとも大型トレーラーの乗務からは外すべきではなかったのか。ハンドルを握るものとして、自分の周囲にそうした「突然に意識を失う人間たち」が同じようにクルマを運転しているのかと思うとオレは慄然とするのである。何のためにクルマの免許には更新制度があるのか。運転能力の衰えた人間を排除するためではないのか。SASの診断が出た者には対して、免許を返納させるか運転以外の職業に従事させるかの選択が雇用者側に求められるのではないか。もしもSASのドライバーの「運転する権利」を認めてしまうならば、他のすべてのドライバーや歩行者の「事故に遭遇せずに安全に家に帰れる権利」を侵害するものになってしまうのだ。
このドライバーが「SASのせいで起こした居眠りでした」とあくまで主張するならば、その判決を認める代わりに日本中のすべてのSASの人の免許を速やかに剥奪すべきである。「運転不適格者」として処理すべき問題になってしまうからだ。伊東裁判長はそれだけの覚悟を決めてこの判決を出してるのだろうか。深く考えずにただ適当に出した判決ということならばまだマシだ。しかし、信念を持ってこのオッサンがそんな判決を下すのならば、そしてその判決が「判例」となってしまうのならば、クルマを運転する行為はものすごくリスクのある行為になってしまうのである。だって回りには「突如として居眠りをする」人が運転してるかも知れないクルマが無数にあるからだ。
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