2008年10月24日(金) |
毎日新聞に子育てを語る資格はありません! |
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毎日新聞に「記者の目」というコラムがある。そのコラムの内容にオレは仰天したのである。まずはこのコラムを読んで欲しい。
記者の目:雅子さまの行動、宮内庁に説明の責任=真鍋光之
皇太子妃雅子さまは、大分県での第8回全国障害者スポーツ大会を欠席し、長女愛子さまの学習院初等科(東京都新宿区)の運動会を観戦した。皇太子ご夫妻のお世話をするトップ、宮内庁の野村一成・東宮大夫は二つの行事への出欠の背景に「病気」があると述べたが、プライベートより公務を重視してきた皇室にあって、雅子さまに対し「公務軽視」との批判が一部から出ている。
今の雅子さまにとって遠出の公務は難しかったとは思うが、皇族の公私の問題を、病気を理由に簡単に済ませていいとは思わない。今回の雅子さまの行動について、宮内庁は詳細な説明をすべきだ。
12日の学習院初等科の運動会。報道陣には愛子さまがかけっこをする場面が公開された。愛子さまに手を振り、カメラで撮影する雅子さま。母子のほほえましい光景だったが、皇太子さまはこの日、全国障害者スポーツ大会で大分県を訪問しており、精神障害者のバレーボール競技などを視察していた。本来なら雅子さまも同行する公務だった。
野村東宮大夫は3日の会見で、雅子さまが公務を休んで運動会を観戦することに対し「病気療養中」で「全体的な中身、総合的にいろいろ考えた結果。医師とも相談した」などと説明した。さらに「基本的には可能な中でのご活動ということ」と理解を求めた。
だが私は、皇族の公私が絡むことを「病気だから」という理由であっさり終わらせようとする宮内庁の姿勢に納得できないでいる。
皇室には、「私」より「公」を重視することを表した「天皇、皇族に私(わたくし)なし」という言葉があり、天皇、皇后両陛下はじめ皇族方は、公務を優先する姿勢を示している。
公務とプライベートの兼ね合いについて天皇陛下は00年の誕生日会見で、「公務については、私も皇后も務めであればするのが当然だと思って過ごしてきました」と語った。翌年には「私どもは、やはり私人として過ごす時にも、自分たちの立場を完全に離れることはできません」「(公私の比重は)前者の方に多く掛かっております」と公務優先の考えを述べた。
皇太子さまも04年の誕生日会見で「国民の幸福を一番誰よりも先に、自分たちのことよりも先に願って、国民の幸福を祈りながら仕事をするという、これが皇族の一番大切なことではないか」と話した。雅子さまは、療養前は皇太子さまと一緒に公務をすることが普通だった。
野村東宮大夫は会見で「公務よりプライベート優先では」との問いかけに、「そういう見方もあるだろうが」と述べただけだった。天皇、皇后両陛下や皇族方が積み上げてきた公務を重視するというあり方を、根本から覆すともとらえられかねない雅子さまの行動に対して、どう考えているのか。「公務軽視」の批判がある中、丁寧に言葉を尽くすべきだろう。
「病気」という理由についても説得力に欠けた。雅子さまは今年1月、冬季国体開会式で長野県を訪れて以来、泊まりがけの公務をしておらず、都内での外出も少ない。このことからも2泊3日の大分での公務は無理だったのだろうと想像するが、野村東宮大夫の会見では、雅子さまが今、具体的にどのような状態なのかまったくわからない。
そもそも宮内庁は、雅子さまが全国障害者スポーツ大会を欠席し、愛子さまの運動会に出席することについて、「公」と「私」という観点でどこまで議論したのだろうか。そして全国障害者スポーツ大会関係者に、雅子さまが欠席せざるを得ない現状、逆に運動会を観戦する理由を意を尽くして説明したのだろうか。
野村東宮大夫の言葉を聞く限り疑問が残る。「総合的に考えた結果」などといういい方はあまりに大ざっぱで、雅子さまが出席することも想定しながら準備に汗を流してきた大会関係者、障害者、ボランティアらに失礼であろう。
雅子さまが療養に入って丸5年がたとうとしている。雅子さまへの批判、疑問は年々、強まっているように感じるが、今回の件を見て改めて思うのは、その原因を作っているのは詳しい説明をしない宮内庁であるということだ。
病気で苦しむ雅子さまの行動は時にわかりにくく、誤解を生みやすい。それを補足するのが宮内庁なのに、「ご病気」「体調に波がある」で終わらせることが多い。それは雅子さまを孤立させることにほかならない。雅子さまと皇室の将来を考えるならば、宮内庁はもっと説明に心を砕く責任がある。(東京社会部)
さて、このコラムの筆者である真鍋氏の主張は
「皇族ならば公務優先」
「公務を欠席するなら宮内庁は理由を示すべき」
「愛子さまの運動会を観戦することよりも夫と一緒に全国障害者スポーツ大会に行くべきだった」
ということである。しかし、雅子さまは欠席でも皇太子さまはちゃんと出席されている。娘である愛子さまの運動会よりも公務を優先したのである。それで十分じゃないか。
たとえばオレの息子が運動会の時にオレの勤務する学園も運動会ならば、仕事が優先だからオレは息子の運動会を見に行けないことになる。しかし、ちゃんと妻が代わりに運動会を見に行ってくれている。もしも両親がどちらも見に来られないということなら子どもはかわいそうじゃないか。他の子どもたちはみんな家族とお弁当を囲んでるのに、自分だけはひとりぼっちだなんてあまりにも悲惨じゃないか。今年はたまたまオレの次男の運動会とオレの勤務する学園の運動会は重ならなかったので、オレは小学校の運動会の時に妻や息子と一緒にお弁当を囲むことができた。雅子さんが愛子さまの運動会を見に行くことをなぜ公務よりも優先してはいけないのか。そもそもその日が学習院初等科の運動会であるということはかなり前からわかっていたわけで、その日に公務を入れてることの方が理不尽ではないのか。
皇族といえども一人の母親である。なぜ公務優先で親子の情愛を否定されないといけないのか。7歳の子どもにとって「運動会に両親がどちらも来てくれない」ということがどれほど悲しいことであるのか、真鍋氏は想像したことがあるのか。もっと大きくなれば親の職業ゆえに仕方ないことだという分別もつくだろう。しかし、まだ7歳なのである。真鍋氏が何歳なのか、結婚していて子どもがいるのかどうかをオレは知らない。しかし、雅子さまが愛子さまの運動会を見たいという気持ちを「公務優先」とばっさり切り捨てるような記者に果たして子育てを語る資格があるのか。このようなコラムをノーチェックでそのまま掲載させた毎日新聞に子育てを特集する資格があるのかとオレは感じるのである。
野村東宮大夫も「病気だから」なんて言わなくてもよかったのだ。「どうして母親が娘の運動会を観戦するのがいけないのですか?」と開き直るべきだったのだ。準備に汗を流してきた大会関係者、障害者、ボランティアの方たちが「これだけ準備してるのだから愛子さまなんかほっとけよ!」などと言うだろうか。そんなに心が狭い方たちであるとはオレは思えない。きっと事情を理解してくださると思うのである。
雅子さまがかけっこをする愛子さまに手を振り、カメラで撮影されるほほえましい光景こそが、実は国民の多くが待ち望んでいる姿である。毎日新聞はその幸せな様子をこそ報道して祝福すべきだったのであり、その幸せを全否定するようなこのようなコラムを掲載していることに対してオレはものすごい不快感を覚えたのである。
オレが毎日新聞を読めるのは職場に置いてあるからだが、こんなひどいコラムを載せる新聞に対して、ゼニを払って購読することだけは断じてするまいと思ったのである。もしも毎日新聞を購読する読者の方で、オレと同じような不快感を覚えた方がいれば読者として新聞社に抗議して欲しい。それはゼニを払って読んでいる方の正当な権利だから。そして毎日新聞社から丁重なお詫びの言葉がなかったら、そのときは購読をやめるべきである。とにかくこのコラムの内容はあまりにもお粗末である。
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