2008年08月28日(木) |
地方のテーマパークは生き残れないのか? |
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大阪にユニーバーサルスタジオジャパン(USJ)が開業してから、周辺の小さな遊園地はバタバタとつぶれた。宝塚ファミリーランドも、神戸ポートピアランドもなくなった。ポートピアランドは絶叫型のライドばかりでけっこうオレは好きだったのだが、USJが開業後は客も減少し、何よりも親会社の阪急の経営不振で宝塚ファミリーランドと一緒に売り飛ばされてしまった。大都市の遊園地でさえそういう状況なんだから、地方のテーマパークはもっと悲惨な状況なのである。以前にこの日記でとりあげた秋田県の唯一の遊園地とかもそうだが、遊びそのものが多様化した今、遊園地という娯楽はもはや若者の興味の対象ではなくなったということが起きているのかも知れない。
アサヒコムから、倉敷チボリ公園の閉園に関する記事を引用しよう。
チボリ社 解散承認2008年08月27日
■臨時株主総会「謝罪足りぬ」声も
倉敷チボリ公園(倉敷市寿町)を運営する第三セクター、チボリ・ジャパン(TJ)社の解散が26日、同公園で開いた臨時株主総会で承認された。県内唯一のテーマパークの同公園は12月31日深夜のカウントダウンを最後に約11年半の歴史を閉じる。(野勢伸一、高橋孝二)
石井知事は29日にも地主のクラボウ本社(大阪市)を訪れ、県と同社が結んでいた50年間の定期借地契約を解約と、公園用地(約12ヘクタール)の返還を申し出る。TJ社は現取締役のまま来年1月以降、坂口正行社長を代表清算人とする清算会社に移行し、資産の売却や建物・施設の撤去など後処理にあたる。
倉敷チボリ公園のアンデルセンホールで開いた臨時株主総会には、最大株主の県、倉敷市を筆頭に、委任状を含め、株主総数の78%に当たる132者(28万4830株)が出席。取締役ではチボリ存続の完全民営化を主張して石井知事と激突した副会長の伊原木一衛・天満屋会長が欠席した。解散議案の採決は記名で行われ、出席者の株式ベースで賛成87%、反対12%で可決された。
6千株を持つメーカー代理人は「いまさらしかたがないという雰囲気。厳しい声はなかった。閉園後もチボリのなごりを残してくれ、とか、残された社員のケアをちゃんとやってという意見はあったが」と話した。
賛成に票を投じた企業の役員(70)は「こうなった責任は今までに経営に携わったすべての人にある。歴代の経営陣のおわびがなかったのは納得できない」と不満げな表情を見せた。
一方、反対派の会社社長(72)は「石井会長らの謝罪は株主にのみ向けられていた。謝罪はまずチボリを愛する子どもたちにするべきではないか。謝罪の方向が間違っている」と話した。
さてオレはこの倉敷チボリ公園というものに行ったことがないので、ネットでいろいろと調べてみたのだが、なんと開業した年には一年間で300万人近い観客を集めていたとある。それほど広くないこの敷地の中にそれだけの客がやってきたということにびっくりである。
公式WEBサイトで設置されてる遊技施設を確認したが、そのほとんどがお子様用である。また料金はパスポート券が3400円、子どもが2400円だからそれなりに安い。だったらもっと人気が出てもよさそうなものなのだが、ここの入場者がじり貧になってしまった理由は一体何なのだろうか?
高い人気を誇る東京ディズニーランドとUSJに共通するのはリピーターの多さである。同じ人が何度も何度も行く。毎年必ず行くとか、遠くに住んでるけど年に数回は必ず行くとか、年間パスポートで行きまくるとか、とにかく何度でも行きたいという人がものすごく多いのである。だったら倉敷チボリ公園はどうしてそういう客を増やせなかったのか。オレはその謎が知りたいのである。
倉敷という街自体はオレのとても好きなところである。名物のむらすずめもおいしい。美観地区にやってくる観光客は今も多いはずである。だったらなぜチボリ公園には客が来なかったのか。それは営業戦略の失敗ではないのか。
第3セクター方式で開業したこのチボリ公園に、倉敷市は100億円を出資してるという。地方自治体としては破格の金額である。もしもオレが倉敷市民なら絶対に反対しただろう。それだけのゼニを回収できるあてがあるとは思えないからである。倉敷市民も多くが反対した。それが岡山県の強引な推進で無理やりに建設が強行されたらしい。阪急電鉄は「もうからない」と判断してさっさとこの企画から降りてしまっていた。1991年9月には「チボリはいらない倉敷市民の会」、10月「チボリに反対する県民の会」が結成されて、デンマーク・チボリ調査団を派遣したり、住民訴訟を起こして反対運動を展開していたらしい。
開業後2年間は300万人近かった入場者数もその後激減し、2007年度は80万人台で採算ラインにはほど遠い。そうしてじり貧になってくるなかでデンマークのチボリインターナショナル社とのロイヤリティの契約期限更新交渉がうまくいかずに、2009年からは「チボリ」の名前が使えなくなってしまったのである。
さて、今後この遊園地はどうなるのだろうか。もしもオレが経営者なら思い切った料金の値下げを行って、それこそ平日パスポートは1000円くらいにして、老人のいこいの遊園地にして観客増を狙うだろうか。とにかく人を呼ばないことにはどうしようもない。ただ、岡山県や倉敷市が3セク方式で開業したという部分が、失敗の原因だったような気もするのである。そいつらに経営能力がなかったということなんだろう。せっかく最初は年間300万人も来ていたのである。どうすればリピーターを増やせるのか、どうすれば客が満足するのか、そうした研究をすることなしに無策だったからこそ今の経営危機を招いたのではないだろうか。
廃業するにもゼニが掛かる。建設に反対した倉敷市民もその借金を最終的には負担させられるのと同じことである。なんとかその悲劇を食い止める方法はなかったのだろうかと、オレは友人が何人も住んでいる倉敷のことを思うのである。
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