江草 乗の言いたい放題
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2008年04月26日(土) この世から悲惨な自殺を無くしてください        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan

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 4月25日の朝、大阪の通勤の大動脈である地下鉄御堂筋線は、西中島南方駅で発生した人身事故のために約1時間ストップした。このため10万人近い通勤客が影響を受けて大混乱した。オレが教える学園でも延着のために遅刻する生徒が数百名発生したのである。これほどまでに迷惑な鉄道飛び込み自殺という行為をどうすればなくせるのか。どうしても鉄道自殺をやりたいのなら、時と場所をわきまえて欲しかったのである。せめて通勤ラッシュの時間をはずすとかして欲しかった。ふだんその電車を利用してるのならなおさら自分がどんな迷惑を掛けるのかをなぜ考えられなかったのか。もっとも自殺という行為自体がものすごく自己中心的な行為であり、そういう行為をする人間に周囲への配慮とか他人への迷惑とかを考える余裕が無くても仕方がないのだが。

 飛び込み自殺すれば、どんなに健康だった肉体でも一瞬にして失われる。オレはその健康な肉体を実にもったいないと思うのである。そこには2個の健康な腎臓がある。それを取り出せば二人の腎移植を待つ透析患者が救えるのであり、一年につき600万円×2の医療費が削減できるのである。(←透析に関する医療費の項目参照)腎臓だけではない。角膜も、心臓も、肝臓もみんな貴重な臓器である。骨や髪だって利用可能かも知れない。そのすべてが無惨に捨てられるなんてことはあまりにも惜しいとオレは思うのだ。どうせ死ぬのならその身体をどうして誰かのために役立ててくれないのか。

 渡辺淳一の小説「白き旅立ち」には、自分が愛した医師に「腑分け(解剖)」をさせたいためにわざと寿命を縮めて犠牲になる遊女が出てくる。その自己犠牲の崇高な魂と、自殺をしていく人間の気持ちは対極にあるものかも知れない。しかし、安楽死が法整備されて希望者に自由に行われるようになったときに、その安楽死を自殺の手段として行う者が出て、その自殺者の臓器が有効利用される仕組みが生まれればそれは多くの問題を一挙に解決するのではないか。

 全国の都道府県の指定された病院は安楽死外来を設置し、そこにやってきた自殺志願者は必要な手続きをとって本人確認した上でもっとも痛みのない方法で静かに生命活動を停止させられる。そして必要な臓器はすべて採集され、不要な部分だけが火葬されて遺族の元に送られる・・・という仕組みにしたらどうか。未成年の場合は親の同意を必要とするとか、結婚してる場合は配偶者の同意と保険金目的ではないという念書を入れさせるとかいうふうにして悪用されることを防げばいい。

 このメリットは鉄道への飛び込み自殺というあの無惨な死を確実に減らせるということである。誰だってあんなむごたらしい死に方を望んでいないはずだ。ところが簡単に人を死なせてくれる場所がないのである。この世には死にたい人が無数に存在する。しかし、我々が簡単に選択可能な死ぬ方法というのは限られている。銃社会ではない日本では銃で自殺するということは困難だ。明治政府の廃刀令の影響で個人の家庭には日本刀などの刃物はない。刃物を使って家で死ぬならば、飛び散った血を掃除する家族の迷惑のことを考えてしまう。それで誰にも迷惑が掛からないと考えて鉄道に飛び込むのか。確かにキミの家族には迷惑を掛けないかも知れないが、その代わりに何万人という赤の他人が大迷惑するのだ。だったら検討してみる価値はあるだろう。

 ここまで読んで「江草、おまえはなんという暴論を吐くのか!」とお怒りになった方もいるだろう。もちろん江草にはこの日記がかなりの暴論であるという認識がある。そして大切なのはこの世から「自殺」したくなるような苦しみやストレスを無くすことだと思っている。しかし、現実に日本中の鉄道では多くの飛び込み自殺が日々発生してるのである。それらの多くはあまりにもありふれた事件となってしまい、ろくに報道されないことだってある。

 自分をこの世に必要ないものだと自己否定し、生きていることを辞めたくなった人に対して「あなたのからだの各パーツはこんなに貴重なものであり、欲しがっている方が大勢いらっしゃるのですよ」と伝えることはもしかしたらその自殺の意志を翻意させるのに役立つかも知れない。それぞれの臓器に適正な値段を付ければ、改めて自殺希望者は自分の身体の貴重さを理解するだろう。そんなに貴重なものを一瞬にして無にしてしまおうとした自分の愚かさに気がつくかも知れない。設置された安楽死外来は一度も実際の自殺に利用されずに終わるかも知れない。今は年間3万人も自殺しているということだが、この安楽死外来の設置で自殺者を少しでも減らせるのなら、ちゃんと設置の意味があったということになるのではないか。暴論のつもりで書いたのだが、そんな時に限って最後のオチはきわめて真っ当な結論になったのである。


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