2008年04月23日(水) |
人を殺せば死刑が基本です |
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オレは殺人犯はみんな死刑にすべきだと思っている。よほど考慮されるような事情がある時にだけ刑を減じる。たとえば介護を苦にした無理心中の場合であるとか、DVに悩みやむなく夫を殺したとか、そういう場合は事情を考慮して刑を減じるべきだ。しかし、保険金や強盗や強姦目的の殺人というものは基本が死刑でいいと思う。あと、殺人ではなくても放火犯や連続強姦魔というのも死刑にして欲しい。ついでに国民の貴重な税金を無駄にした汚職官僚や利権政治家も死刑・・・というふうに死刑の適用範囲を広げて欲しいと思ってる。ゴルフ接待漬けの守屋次官などは死刑が妥当だろう。
どう考えても死刑以外考えられない外道でありながら、犯行当時18歳になったばかりということと、2人しか殺していないからという理由で馬鹿裁判官たちが無期懲役にしてしまった事件を、ちゃんと正しく裁かれる方向に導いてくれたのは、わざとお馬鹿な理由をねつ造して、被告には反省の気持ちなどないことをはっきりさせてくれた安田好弘弁護士たちの活躍のおかげである。オレはこの方たちが死刑制度反対論者であるとはとうてい思えない。彼らがお馬鹿な論理で死刑反対の主張をすればするほど、死刑しかないと誰もが思うから不思議である。安田弁護士たちは実は「隠れ死刑推進派」なのだろう。そう考えればすべて説明がつくのである。
アサヒコムにあった裁判の結果を伝える記事を引用しよう。
光母子殺害、元少年に死刑判決 広島高裁差し戻し控訴審 2008年04月22日13時22分
山口県光市の母子殺害事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、窃盗の罪に問われた元少年(27)に対する差し戻し控訴審で、広島高裁は22日、無期懲役とした一審・山口地裁判決を破棄し、死刑の判決を言い渡した。楢崎康英裁判長は「強姦と殺人の強固な意思のもとに何ら落ち度のない母子の生命と尊厳を踏みにじった犯行は、冷酷残虐で非人間的と言うほかない」と述べた。さらに「虚偽の弁解を展開して罪と向き合うことを放棄し、遺族を愚弄(ぐろう)する態度は反省とはほど遠く、死刑を回避するに足る特段の事情は認められない」と判断。一審の事実認定に誤りはないが、量刑は軽すぎると判断した。元少年側は上告した。
検察側は死刑を求め、弁護側は傷害致死罪の適用による有期刑を求めていた。
楢崎裁判長は主文の言い渡しを後回しにし、判決理由の朗読から始めた。まず、新弁護団がついた上告審の途中から、元少年側が殺意や強姦目的の否認を始めた経緯を検討。「当初の弁護人とは296回も接見しながら否認せず、起訴から6年半もたって新弁護団に真実を話し始めたというのはあまりにも不自然で到底納得できない」と述べ、「死刑を免れることを意図して虚偽の弁解を弄(ろう)しているというほかない」と新供述の信用性を否定した。
そのうえで、元少年側が「被害女性の首を両手で絞めて殺害した」との認定は遺体の鑑定と矛盾し、実際は右手の逆手で押さえつけて過って死亡させたものだとした主張を退け、「そのように首を絞めた場合、窒息死させるほど強い力で圧迫し続けるのは困難であり、遺体の所見とも整合しない」と判断。「殺意に基づいて両手で絞めたのは明白」とする検察側の主張を認めた。
また、被害女性に母を重ねて抱きついたとする元少年側の「母胎回帰説」を「被害女性を殺害して姦淫(かんいん)した犯行とあまりにもかけ離れている」と否定。「姦淫することで生き返らせようとした」との主張も「荒唐無稽(こうとうむけい)な発想」と一蹴(いっしゅう)し、「性欲を満たすため犯行に及んだと推認するのが合理的だ」と述べた。被害女児の首にひもを巻いて窒息死させたとの認定にも誤りはないとした。
さらに、元少年の成育歴が犯行に結びついたかどうかについて「幼少期からの父親の暴力や母親の自殺などの成育環境が人格形成や健全な精神の発達に影響を与えた面もあるが、死刑の選択を回避するに足る事情とまではいえない」と指摘。一方で、元少年側が差し戻し控訴審で「虚偽の弁解」を展開したことについて「更生の可能性を大きく減殺する事情といわなければならず、死刑回避のために酌量すべき事情を見いだす術(すべ)もなくなった」と結論づけた。
差し戻し控訴審は昨年5月に始まった。元少年側は二審までは起訴事実を認めていたが、最高裁が05年12月に弁論期日を指定し、二審の無期懲役判決を見直す可能性が高まった後に新しい弁護人がつき、主張を変えた。新弁護団は元少年側が起訴事実を争っていなかったのは、検察官から「強姦目的を認めないと死刑の公算が大きい」と自供を誘導されたほか、無期懲役を期待した当時の弁護人の方針だったとしていた。
一方、検察側は「被告に反省悔悟を求めることは無意味。二審段階以上に死刑に処すべきことが明らかになった」と強調していた。
今回の判決の中で「虚偽の弁解を展開して罪と向き合うことを放棄し、遺族を愚弄(ぐろう)する態度は反省とはほど遠く、死刑を回避するに足る特段の事情は認められない」という部分は、多くの市民の感情を代弁してくれた部分である。荒唐無稽ないいわけをするのではなくて、事実をきちっと話して罪と向き合い、自分の犯した罪を反省することがこの外道には必要だったのだ。そのチャンスを奪って見事に死刑を勝ち取ってくれた安田弁護士たちの正義の弁護に対してオレは感謝したい。あの荒唐無稽なお馬鹿戦術が死刑判決を後押し
したことは間違いない。
それとともにこの判例が一つの死刑基準を示してくれることを期待している。つまり、「殺された人数が問題ではない」「事件当時の加害者の年齢は問題ではない」という2点を今回の判決が暗示していることだ。一人殺しただけでも死刑。18歳になったばかりでも死刑。という新ルールを示してくれたことにオレは感謝しているのである。
犯人を死刑にしたところで、殺された命が戻ってくるわけではない。強姦目的で女性を平気で殺すことができる外道など、この世に存在しなくていい。一人暮らしの女性を11人強姦した男が無期懲役になったという新聞記事があったが、こいつも死刑が相当だ。強姦犯が女性を殺すかどうかは紙一重である。絶対にレイプされまいと必死で抵抗すれば殺され、抵抗をあきらめてレイプされれば犯人の罪も軽くなるなんてひどいじゃないか。オレがもしも被害者の身内なら、死刑にならなかった強姦犯をどうやって抹殺するかの完全犯罪を本気で考えるだろう。
判決が厳罰化の方向に進むことがなぜいけないのか。これまで甘すぎたものが正しい方向に是正されているだけのことだ。金目当ての殺人はどう考えても情状酌量の余地はない。すべて死刑にしてくれ。少年犯罪も同様だ。「少年法に守られて死刑にならない」とたかをくくってる馬鹿はなおさら死刑にすべきである。16歳で人を殺すような馬鹿は、残りの人生が長い分、70歳の殺人者よりも何倍も危険である。だったらなおさら死刑を選択すべきである。刑務所で飯を食わせて飼い殺しにするだけでも社会はコストを支払うのである。だったらさっさと死刑にして、ついでに臓器移植を待ってる方々のためにその臓器を再利用すべきである。「死刑囚の腎臓なんか要らない」と言う方は無視して「死刑囚の腎臓でもいいからください」と言う方にあげればいいのだ。日々発生する凶悪事件のことを思えば、年間の死刑執行数は少なすぎる。オレは年間500件くらい死刑が執行されてもいいと思っている。この平和な日本でさえ毎日のように殺人事件も汚職事件もある。我が子を炎天下の車内に残してパチンコをやってるような母親もいる。そんなのは死刑でいい。
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