2008年01月03日(木) |
誰かが代わりに働くと言うこと |
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お正月からコンビニは営業している。ダイエーも元旦からやっている。そのおかげでいつでも我々が買い物できるわけだが、そのためには誰かがお正月も働かないといけないと言うことを忘れてはならない。誰かが便利になるために誰かが犠牲になっている。これが社会の宿命なのだ。我々の享受する便利さは常に誰かを犠牲にして得られているということを忘れてはならない。あなたが便利なその一方で、お正月から休むこともできず、この寒風吹きすさぶ中を戸外で働く人もいる。そうした人たちの労働によってこの社会はいつも支えられているのだ。
お正月から悲惨な交通事故が起きている。オレはこういう事故の報道を見ながら、そんな事故であっても救急車はちゃんと現場に駆けつけ、病院は適切に対応してくれるわけだし、すぐに現場に警察官も駆けつける。この世は正月だからといって休んでいられる人ばかりではないのだ。オレはそうした正月返上で働いている方々に対して限りなき畏敬の念を感じるのだ。誰かが休んでるときもいつも誰かが代わりに働いてくれるから、そうして社会は機能しているのである。
小学校や中学校で女性の教員が産休を取った場合、必ず産休講師が派遣される。オレは不思議に思うのだが、その産休講師には産休を取る権利はないのだろうかと。女性が出産や育児をする権利が保障される傍ら、そのために臨時講師という身分で働く人がいるわけで、不安定な身分で働かされる人がいるおかげで、労働者の権利が守られているのである。そのような実態は果たして正しいことだと言えるのか。そもそも誰かを犠牲にして成り立つ労働者の権利など、単なる格差社会の中での弱いものいじめに過ぎないのではないか。教諭の超過労働を緩和する方法は決して教諭そのものの定員増ではなくて、たいていは非常勤講師の時間増である。時給換算すれば700円以下で多くの非常勤講師たちが働く。いくら教育という仕事に夢があっても、現実に生活できるだけの賃金が保証されていないこともまた事実なのだ。
派遣労働者、期間労働者でいられることは断じて権利などではない。そのような不安定な身分しか与えられない実態に対して、労働者は怒りの声を上げるべきだ。教育の現場に多くの非常勤労働者がいることも同様だ。なぜすべてをフルタイムの教師でカバーしないのか。学校側は非常勤の教員の比率を上げることで教員に支払う賃金コストを下げることができるわけだが、学生や生徒にしてみれば質問があっても常に自分が習う教員が居るわけではない。そしてなによりも深刻なのはそうした非常勤講師や臨時教員の多くがワーキングプアの状態に置かれているということなのだ。そんな状況でいかにして教育の質の向上がはかれるのか。
なぜ正社員と、臨時社員・派遣社員が区別されるのか。現場で仕事をするということ自体は同じであっても、なぜ賃金の格差をそこに存在させるのか。そうやって労働者を分断して序列化することは、ある意味江戸時代の身分制度と似てはいないか。残業代を値切り、厳しい労働条件を押しつけ、労働者から搾取するだけ搾取しておきながら、「きみたちよりももっと劣悪な条件でも働く人がいるんだよ」と提示することでその状況を容認させることが経営者側の戦略である。お正月でも働かされる代わりに、ほんの少し高い時給が提示され、日頃から搾取にあえいでる人たちはそのわずかな差額を求めて元旦から働かされることとなる。そして正社員ももちろんそこに駆り出される。「休みたい」という主張はそこでは許されないのだろうか。
江戸時代の身分制度は支配を確固たるものにするために実に巧妙にできた仕組みであった。オレは今の社会の仕組みに同様のものを感じるのである。たとえば10人の社員に一律に400万円の年俸を払うのではなく、一人だけ1000万を与えて残りを200万にすれば、総報酬を4000万から2800万に抑えることができる。社員に格差をつけるというのはそういうことなのだ。今の格差社会というのはまさにそうした状況なのである。企業は賃金コストを抑えることができたために過去最高の収益を上げ、その一方で労働者の実質賃金は毎年減少している。2007年度に過去最高益を上げた企業が多かったが、それらの輝かしい企業業績というのはすべて労働者を犠牲にして達成されたものであるということを忘れてはならない。
教師としてのオレはあまりにも無力だ。このような状況を生徒たちに説明しながら言えることは「がんばって勝ち組になって生き残れ」でしかないからだ。10人のうち1人しか正社員になれない社会がやってくるとするなら、その1人になれるように努力しろとオレは生徒に訴えることしかできない。こんな世の中は間違ってるから打ち破れという主張は空しい。なぜなら誰もその方法を示せないからだ。オレが信じるのは、そうして10人に1人の勝ち組になってくれた生徒の中に、こんな世の中は間違ってるからとそれを打ち破るような人間が出てくれる可能性だ。世の中を変えるためには勝ち組にはいるしかないからだ。
今オレが教えてる生徒の中には、将来日本を代表するような大企業に入って、もしかしたらその経営者となるような者が現れるかも知れない。彼らが勝ち組になれば当然のように消費税をさらに引き上げ、労働者に対する搾取を行う側に回るかも知れない。しかし、オレがこうして訴えることはきっと彼らの中に1人でも、今の社会の持つ矛盾や問題点に気が付いてそれを改めようとする者が出ることを期待するからだ。オレの訴えが決して無駄ではないと信じているからだ。
この世には多くの職業が存在し、誰かを楽にするために誰かが犠牲になっている。誰かの便利のためには常に誰かが苦しみを強いられている。酔っぱらってそこらにゲロを吐く迷惑なヤツが居る一方で、それを黙々と清掃する人もいる。この世は常に誰かの犠牲の上に成り立っているのだ。オレたちは謙虚にその事実を受け止め、そしてすべての労働者に対して、すべての職業に対して限りなき畏敬の念を持って接していかなければならない。どんな職業もこの世には必要であり、そのおかげで多くの人々が救われているのであると。そしてその労働者はすべて「派遣」や「期間」ではなくて、自分が定年までその労働をして生活していける権利、生活を維持するのに足りる収入を確保する権利を等しく有するべきであると。オレはそれを常に訴えていたい。
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