2008年01月01日(火) |
9・11テロの本質とは何か? |
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オレはそもそも陰謀論というのが嫌いだ。この世のすべての事象は論理的に解明することが可能だと思っていた。しかし、そういう思考過程からはオレにはどうしてもあの9・11テロの本質が見えてこなかった。この事件を解明するためにはやはり壮大な仮説を立てて、そこから議論を進めるしかないという結論にオレは達したのだ。そこで今日はオレの仮説をここで書こうと思う。この日記はオレにとって、自らが依って立つスタンスを明らかにする一つの決意表明でもある。オレの立場はあくまで反米、日本からの米軍基地の完全撤去であり、対米従属から脱して日本が真の独立を勝ち取ることである。
なぜテロリストたちは嬉々としてその任務に赴いたのか。彼らにその行為が聖なる崇高な行為であるという洗脳を行ったのは誰か。その洗脳とはいったい何のためなのか。そもそもアルカイダとはいったい何を目的とする組織なのか。オレはこのことに対しても明確な仮説を立てたい。アルカイダとは、実は欧米の軍事産業の利権を守るためにアラブの金持ちが出資して作られた八百長テロ集団だと。ビン・ラディンはサウジの王族の出身だという。なぜ資本主義の恩恵を被ってる側の人間がテロを行う必要があるのか。
ソ連が崩壊し、東欧の諸国の社会主義体制が雪崩を打って崩壊して冷戦構造が崩壊したとき、米ソの両大国の核兵器による戦力均衡は不要となった。もはや戦略核兵器そのものが不要となったのだ。なぜ世界はこの機会に大幅な軍備縮小を行えなかったのか。それこそ絶好のチャンスではなかったのか。その後ロシアは軍事大国から経済大国への一大転換を遂げた。小室直樹はその著書「ロシアの悲劇―資本主義は成立しない」でロシアには資本主義が成立しえないと書いた。しかし、ロシアが世界最大の産油国となり、原油高で膨大なオイルマネーを手にすることや、プーチンという指導者が登場することを執筆時点で彼は予測できていなかったのだ。冷戦構造の崩壊によってロシアは膨大な軍事費の負担から逃れることができた。しかし、アメリカは軍備を縮小できなかった。その膨大な国防費を国民に説明する必要があった。そのために戦争というのはアメリカにとって永遠に必要なものとなったのだ。フセインを焚きつけてクウェートを攻撃させ、実際に攻撃が起きると手のひらを返したように湾岸戦争を仕掛けたわけで、フセインにとってのその後の展開は「話が違う」ということだっただろう。
ここでオレは歴史を振り返って考えたい。同じことはきっと昔も起きていたはずだと。第二次大戦がなぜ起きたのか。真珠湾攻撃によって太平洋戦争が始まったことにどのような意味があったのか。オレは「父親たちの星条旗」という映画を観て、アメリカ国民が決して好戦的ではなかったことを知った。誰だって家族を戦場に送りたくはない。国民が戦争を望むように仕立て上げる一種の「洗脳」を行うためには、そのための一つの物語が必要なのだ。アメリカにとって、ヨーロッパ戦線での戦いも考えたら直接自国の利害とは結びつかないものなのだ。中国が日本に侵略されていても、それはアメリカにとっては無関係なことであり、中国に米軍を派遣して介入することなど国民の支持を決して得られないお節介であり他国への不当な干渉である。ルーズベルトにとって、日本を参戦させるということはヨーロッパ戦線に積極介入するための口実としてどうしても必要だったのだ。
強大な軍事力というのは使わないときに限って言えば最高の外交の道具である。核兵器が外交のツールたり得るのは使わないからであり、あんな危険なものを一度使ってしまったら人類が滅亡するしかない。さすがにどの国もそんな無意味なものを保持してることにやっと気が付いたわけだが。日本軍も実際の戦争を起こさずにそのまま保持しているだけで十分だったのだ。
太平洋戦争開戦時、あれだけの規模の空母機動部隊を保有する国家は日本とアメリカしかなかった。太平洋だけに限定すれば日本は圧倒的にアメリカよりも優位にあった。もしもそれを日本が使わなかったら、つまりそれを誇示することで外交交渉を進めることができれば全く違った結果になったのではないか。少なくとも英仏蘭は東アジアで日本に対抗することは不可能だっただろう。太平洋戦争が起きなかったとしたら、その後の世界は日米の二大国、あるいは日米ソ三大国を軸にして動いていたかも知れないのである。戦争が起きなくてもアジアの覇権を日本が握っていたことは間違いなかっただろうし、少なくともアジアに於いて軍事的に日本に対抗しうる国家は存在しなかったのだから。
日本に真珠湾で太平洋戦争の第一弾を撃たせたこと、そこにオレはルーズベルトの深慮遠謀を感じるのである。リメンバー・パールハーバーはアメリカ国民の心を戦争協力に向かわせるのに大いに役立った。なぜ日本政府は石油の禁輸という経済封鎖ですぐにやけっぱちの暴発をしてしまったのだろうか。中国戦線からの完全撤退というハルノートで突きつけられた要求を、「受け入れる」ふりをするという高度な外交術がもしも当時の日本政府にあれば、少なくとも衝突は避けられたのではないか。受諾しておいて「大人数なので撤退するのに時間がかかっています」という言い訳だって可能だったはずだ。宣戦布告の通告が遅れたことが「卑怯なだまし討ち」と米国民に受け取られたのは結果論だが、そうした些細なことでさえもルーズベルトには重要なプロパガンダの手段となった。
ドイツ軍がモスクワやスターリングラード攻防戦で消耗したことがあの戦争の大きなターニングポイントとなったように、日本軍も南方戦線で消耗戦を続けるうちに貴重な戦力を失っていった。日本軍にとってもっとも大きな過ちは補給を軽視したことであった。中国では補給を略奪に頼ってたわけで、もともと日本軍にはまともな補給の発想などなかった。戦争末期には補給を絶たれた多くの日本兵が餓死に追い込まれ、弾薬が不足して満足に戦えないこととなった。しかし、そのような大局的な現象はすべてルーズベルトには予想されたことだったわけだ。米軍が反抗を始めれば、日本が伸びきった戦線を早晩維持できなくなることは明白だった。戦争をどのように終わらせるかということに関して、日本の指導者たちはほとんど何も考えていないに等しかった。マッカーサーはコレヒドール要塞から脱出するときに「I shall return.」と語ったそうだが、あの戦争の行方を見通していたから言えたのだろう。マッカーサーがルーズベルトの深謀遠慮を知る一人であったことは間違いない。
ヒトラーがスターリングラードの第六軍の降伏を許さずに全員の戦死を望んだことと、日本軍の兵士が次々と玉砕したことはよく似ている。もしも「本土決戦」なんてことになれば、今私がこうして日記を書くことなどなく、日本という国家は世界地図の上から消滅させられていたかも知れない。民族の存続のために「無条件降伏」というのは英断だったと思いたい。多くの犠牲を払って我々は戦争の愚かさを知った。オレが日本に真の平和国家樹立の可能性を信じるのは、あの戦争を経験したからこそだと思っている。
第二次大戦の戦後処理は連合国による一方的な戦後体制の枠組み作りであり、日本やドイツは戦争犯罪者の国として断罪された。冷戦体制のパートナーである米ソお互いの戦争犯罪は告発の対象とはならなかった。ソ連軍が行ったカチンの森での大量虐殺はナチスの仕業とされてしまった。あの戦争における最大の戦争犯罪はヒトラーによる民族虐殺であることは疑いがないが、それに唯一比肩しうるものは米軍による原爆投下である。非戦闘員に対する無差別虐殺という点であれ以上の戦争犯罪はないとオレは常々思っているのだが、日本には原爆投下の犯罪性を否定するだけではなく、あれを犠牲を減らすのに役だったなどという政治家までいるわけだからお話にならない。
軍隊はふくれあがった時点でその存在を維持すること自体が目的となってしまう。吉田茂が日本の独立と引き替えに米軍の駐留を認めた密約のおかげで、日本は早期に占領下からの独立を果たすことができたわけだが、それはふくれあがった軍隊を維持したいアメリカ政府にとっても好都合なことであった。以降、日本は米軍の重要な兵站基地としての役割を果たすことになる。中曽根みたいに日本のことを不沈空母と言う馬鹿首相まで出る始末である。なんのための平和憲法なのか。なぜ日本は戦力不保持を宣言したのか。そこに軍事基地が存在すると言うことは、そこが戦争時の攻撃目標となるということである。真に平和を貫きたいのなら、国内に米軍基地の存在そのものを許してはならなかったのだ。なぜなら今、世界で戦争のリスクとなるのは米軍という危険なならず者どもの存在だけなのだから。
米国民にとって、膨大な軍事費の財政支出が永遠に続くことは納得がいかないことかも知れない。すでにソ連という大きな敵は存在せず、中国もまた社会主義陣営を脱してまぎれもない資本主義国としてグローバル経済の中に位置づけられている。もはやアメリカには中国と戦うことの意味などない。金正日を使った過剰なまでの軍事的脅威の演出もオレには八百長としか思えないのだ。北朝鮮の偽ドル札疑惑自体もCIAの陰謀という説もある。そうやって軍隊を維持し続ける大義名分をアメリカは必要としてきたのだ。冷戦終了後の湾岸戦争というフセインをはめ込んだ戦いの後、アメリカ政府は次なる脅威を必要としたのである。
9・11テロに関する公式見解は、「ウサマ・ビンラディンを首謀者とするアルカイダが引き起こした自爆テロ」ということになっている。しかし、なぜこの事件はアルカイダの犯行であると簡単に断定されたのか。物的証拠はきわめて乏しかったのに、なぜそのように結びつけられ、その支援者であるアフガニスタンのタリバン攻撃に結びついたのか。なぜタリバンをそこで攻撃する理由があったのか。それは別の理由でタリバンを排除しないといけなかったからである。それはタリバンによってケシを原料とするヘロインの流通が支配されていたことである。それを彼らに支配させることを排除したい何らかの勢力が存在したのだろう。
オレはあの同時多発テロはアメリカ政府による自作自演だという仮説を立てた。ネット上にはオレと同じように陰謀説を考える人も多い。ただ、あの事件がアルカイダの仕業であることもまた事実なのだろう。オレに言わせれば、アルカイダというテロ組織こそ実はブッシュ一族と密接につながりを持つ組織のような気がするのだ。軍産複合体の利益を守るために、アメリカの膨大な国防費の支出を正当化するために「テロとの戦い」というのは冷戦後の大義名分として用意された。膨大な国防費は「テロとの戦い」のために必要なものとして国民に訴えられた。そして、アフガニスタン戦争、イラク戦争はその対外的デモンストレーションとして実行されたのだ。米軍のイラク侵攻はただの侵略戦争でしかなく、大量破壊兵器の存在云々はただの言いがかりであった。そしてアメリカ側にはフセインを一刻も早く処刑して口封じをする必要があったのだ。彼の口からクウェート侵攻に関する密約のことがバレることを恐れたのが最大の理由であったとオレは思っている。少なくともイランイラク戦争の時点ではアメリカはフセインの最大の支援者だったわけだ。フセインにとってアメリカのその後の行動は「裏切り」以外の何ものでもなかったのではないか。
アメリカが日本に真珠湾攻撃をさせて太平洋戦争を「仕掛けられた戦い」としてスタートしたこと、同時多発テロを起こさせて「テロとの戦い」という大義名分を得たこと。この二つは同根のような気がしてならないのだ。ルーズベルトはもしかしたら軍産複合体からなんらかの利益を得ていたのかも知れない。アメリカの支配階層にとって、軍事産業というのは重要なスポンサーであり、切っても切れない関係にあるのだろう。
一つの事件の背景を考える時、それによって誰がどのように得をするのかということを考えると構図が見えてくることが多い。企業を脅迫する代表的な事例としてグリコ森永事件があるが、あのとき捜査の対象はなぜ関係する株式取引の解明という方向に進まなかったのだろうか。身代金を取れなかった犯人グループがもしも儲けるチャンスがあったとすれば、グリコや森永の株を空売りすることである。もちろん、売買した者の名義は巧妙に擬装されているだろうから関係者にたどり着くのは至難かも知れない。しかし、事件の前に大量にグリコや森永の株を空売りしていれば、犯人グループは何十億という利益を手に入れることが可能だったのである。
9・11テロの直後、NY市場も東証も暴落した。もしも事件の発生を事前に予測できた者がいれば空売りを仕掛けて巨利を得ることができただろう。十分に値下がりしたところで買うことができればやはりその後の値上がりで巨利を得られたはずである。あのとき事前に売りポジをとっていた証券会社はどこか、大口の投資家は誰か。そんなことがもしも解明できるのならば、それが陰謀に荷担した側であるというオレの仮説の一つの証拠となる。必ずあの暴落で大もうけしたヤツが居る。そいつが誰なのか、それを知ることがすなわち事件の黒幕を解明することである。おそらくそこに触れることはアメリカの社会にとって最大のタブーなんだろう。それこそ命が危ないので誰も口にできないだけかも知れない。
ゼニのためなら無辜の民の犠牲など何とも思わない。それもまた二つの事例に共通することである。太平洋戦争も、今回の9・11テロも犠牲者の規模に違いはあるが、死んでいった多くの者たちにとってその死は突然降ってわいたものであり、自分たちには何の責任もなく一方的に巻き込まれたアクシデントでしかない。ブッシュ一族の利益のためにイラク戦争が起こされ、多くの犠牲者が出たことはそうした構図のほんの一部を語っているだけだ。真の悪はもっと深くアメリカの社会の支配構造の中に巣くっているはずだ。彼らの野望をくじくためには、アメリカの市民が「テロとの戦い」という作られた大義名分に対して「NO」と言うことであり、日本国内からすべての米軍基地を駆逐することであり、限りなき軍備拡張に対して市民レベルで一斉に反旗を揚げることしかない。世界の名もなき民が心を一つにして、力による支配に対して「NO」と答え、すべての暴力を否定することしか今の状況を打開する道はない。
今やアメリカとイスラエルの二国は世界で孤立しつつある。アメリカが掲げる「テロとの戦い」という大義名分が実はイカサマであったということにヨーロッパの諸国が気づき始めたからである。そんな時に日本は何をなすべきか。それでも対米従属外交を続けるのか。あるいは日本独自の道を模索するのか。これからの日本がどうあるべきか。ここまでのオレの長文を読んでくださった方にはきっと理解していただけるものとオレは思っている。
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