2007年12月31日(月) |
報道における正義とは何か? |
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ブログランキング投票いつもありがとうございます。少なくとも私の日記に投票してくださる方は正義を愛する人だと思いたいのですが、ランキングを見ると1位のきっこの日記は別格として、美少女との禁断の愛やチワワの日記がこの日記よりも上位にあることがなんとも残念に思います。同じ感想を持つ方はどうか日記の読者拡大の協力をお願い申し上げます。日記読者が全員この投票をクリックしてくだされば、必ずこの日記はランキング1位を奪取できます。1位を続ければいつかマスコミにも注目され、きっこさんみたいに本になるかも知れません。みなさまの応援をよろしくお願いします。
新聞やテレビといったマスコミは常に真実を報道し、正義の実現を訴えてくれているのだろうか。裁判所というのは弱者の味方なんだろうか。そもそも裁判というのは正義の実現なんだろうか。この一年、オレはそのことを考え続けた。政治家や企業の悪が暴かれた時、一時的には話題になってもその続報がないのかなぜか。そこにどのような取引が存在したのかと。
大手ゼネコンの鹿島が大分県のキヤノンの工場建設にからんで30億円の裏金を大分市のコンサルタント会社に払い、そのコンサルタント会社を経営するのがキヤノンの御手洗会長の知人だったという問題に関して、本当ならもっと各紙が報道して大騒ぎになってもいいはずなののいつのまにかこの問題はスルーされてしまった。そのような疑惑の人物が経団連会長であることも不愉快だし、オレはこの男が擬装請負の問題に関しても「ルールが間違ってる」と言い放ったその傲慢さも許せないのだが、なぜ報道が終息したかの理由を考えたとき、12月14日の毎日新聞に掲載されたキヤノンの全面広告以降報道が止んだことと考え合わせると自ずと答えが見えてくる。毎日新聞はゼニで黙らされたのではないだろうかと。
もちろんそれはオレの憶測にすぎないし、こんなつまらないことで名誉毀損で訴えられたくないので「もしもそうなら不愉快だな」という程度の表現にとどめておくが、報道というものが常に権力者や大企業に迎合するのならそれは戦時中の翼賛報道と基本的には異ならないわけで、そんな糞マスコミにいったいどんな存在意義があるのかとオレは言いたくなるのだ。もはや真実を伝えるメディアはネット上の個人ブログや日記しか存在しないのかと。もちろんオレに対しても今後なんらかの圧力がかかってくる可能性はあるだろうし、実際間接的にそうした力を行使しようとした組織があったことも事実である。オレに書かれることで都合が悪いからオレを排除したいという動きは確実に存在するのである。たかが一日のアクセスが5000程度の弱小ブログであるオレが書くことでさえも押しつぶしたいというのが権力を握り国民を支配する階層の意志であるとすれば実に恐ろしいことである。
福岡の飲酒運転の公務員が追突して3人の幼子を殺したあの事件に対して「危険運転致死傷罪」が適用されない可能性があるという。あの事件の加害者は事故の後で大量の水を飲んでアルコール濃度を薄める工作を行い、そのために「正常に運転できないほどの泥酔状態ではなかった」という主張がされているそうである。なぜこの男に重い罰を与えることができないのか。オレにはもっと何か別の力が働いてるような気がしてならない。それがどのような力であるのか、オレはここで明確に断定することはできないし、最終的にどのような判決が下るのかは裁判の結果を待つしかない。裁判官が正義を貫くのかそれともただのヘタレなのか、いずれそれが明らかになってからオレはこの日記で触れることになるだろう。
オレはこの日記でくだらない万引き犯や痴漢を取り上げて話題にする。そのような記事を書きながらオレは思うのだが、本来オレが叩かないといけないのはこんなヘタレどもではなくて、もっと大きな悪なんだと。政治家や企業の巨悪を叩いてこそオレの日記の存在意義があるのではないかとオレは思うのだ。5年以上連続して毎日更新し続けることで少なくとも約5000の人が毎日オレの日記を読んでくださっているわけで、それはたった5000人かも知れないが、オレの訴える正義を理解してくれる(中にはオレの書く内容に対して反感を抱く方も多いだろうが)人が少なくともそれだけいるということは、まだまだ日本も捨てたものじゃないとオレは思いたいのである。
一教師としてオレが実際の仕事の上で影響を与えることができる対象となる生徒たちはほんのわずかである。彼らに対して正義を訴え、よりよく生きることをオレが説いたとしても、そうして伝えることができる相手はたかだか二百人程度である。オレのことをただの口うるさいオッサンとしか思っていない生徒もいるわけで、少しでも入学試験の偏差値の高い大学に入ることしか考えてない多くの生徒にとっては、正義なんてどうでもいいことなのかも知れない。オレの訴えはもしかしたら空しいのかも知れないが、だからといってオレはその訴えをやめるわけにはいかないのだ。
報道とは何か。正義を伝えるとはどういうことか。弱者の権利を守るとはどういうことなのか。オレは日記の中で生活保護の不正受給を叩く。すると必ず「あなたは弱者を切り捨てればいいと思ってるのか」と反論される。しかし、ルールを逆手にとって不正に給付をだまし取る糞野郎どもが果たして弱者と呼べるのか。弱者というのはそうした救済の手をさしのべてもらうこともなく、ワーキングプアという状況にあえぐ派遣労働者や非正規雇用の労働者たちなのだ。彼らの権利を守るための法改正や正規雇用の拡大という動きに対して、キヤノンの御手洗会長は傲慢にもそれらを踏みつぶし、消費税20%を目指して更なる政治献金を自民党に対して行っている。その政治献金も、外資の株保有が過半数を超える企業はできないという縛りがあったためにキヤノンは行えなかったわけだが、そのルールを変えさせたのも他でもない御手洗会長なのだ。
オレという一人の日記書きを抹殺することなど、権力者にとっては実に簡単なことなのだろう。もしもオレが毎日更新されるこの日記を続けることが突如できなくなり、この日記が更新されなくなってそのまま忘れられるとすれば、それは何らかのアクションがオレに対して起こされたことを意味するのである。そのような事態が絶対に起きないとは言えない。過去にもオレに対するさまざまな政治的圧力は存在した。たとえばオレは大阪府の乱脈財政や明らかな不正、税金の無駄遣いに対してこの日記で多くのことを書いてきた。もしも「こんな大阪府の悪口ばかり書く糞教師がいる学校には補助金を与えない」などという恣意的な政治的決定がなされるとしたらどうなるのか。オレは日記をやめるか教師という職業をやめるのかという二者択一を迫られるわけである。オレは家族を路頭に迷わすわけにはいかないのだ。いちおうオレの日記にはさまざまな広告が付いているが、少なくともそこから得られる収入はせいぜい帰りにちょっと買い食いができる程度であり、オレの生活を支えるのはとても無理である。
もしもサイトから得られる収入だけでオレが食べていけるのならば、オレはたっぷりと時間を手に入れることができる。もっと自由な立場で取材し、企業や政治家の悪を暴露し、もっと内容のある日記を書くことが可能になるだろう。それは読者数が今の100倍くらいになれば可能かも知れないし、50万人が毎日読むというWEB日記がもしも存在すれば大手出版社の週刊誌以上の影響力を持つことは間違いない。それは日本の政治を動かす存在となるだろう。オレが正義をここで訴え続けた先に見つめているのはそんな未来なのだ。どうかオレの職業を「暴言コラムニスト」として自立させて欲しいのだ。そのために必要なのはやはり一人でも多くの読者が応援してくれることしかない。
いつかオレがそこまでの読者を得ることができて、そうしてオレの訴える正義が同時に世間で多くの人が感じている正義そのものになるような時代がやってくれば、少なくとも世の中は今よりもかなりよくなってるはずだとオレは信じたいし、こうして日記を毎日更新し続けたことが無駄ではなかったと思えるだろう。だからこそオレは訴えるのだ。どうか一人でも多くの人がこの日記を読んでくださるように、友人や同僚、学校の先輩後輩、そしてネットで知り合った多くの人たちにここを勧めてくださいと。
もしもあなたが正義を愛する一人の市民であるなら、どうかこの日記の読者数を増やすための協力をして欲しい。巨大匿名掲示板の2chにこのURLを貼り付けてたとえ祭の対象にされるのであっても、結果的に多くの読者が読んでくれたならば必ず心ある人は理解してくれるはずだとオレは信じたいのである。自分が巡回する掲示板にアドレスを貼り付けてくだされば、それを見た人が必ずこの日記にアクセスしてくださるだろう。その中にはここをブックマークしてこれからずっと読んでくださる方がいるはずである。オレの日記を読んでくださる人は少なくとも世の中の不正に怒り、正義を愛する心ある人の一人であるとオレは信じている。
もはや新聞やテレビといったマスコミに正義を期待できなくなった時代、真に正義を訴え真実を報道できるのは誰にも妨害されずに発信できるネット上の日記やブログしかないのだ。オレは自分がその役目を果たすために書き続けたい。オレの日記をこれまで読み続けて応援してくれたすべての方々に感謝を込めて、そしてこれからオレの読者となってくれるすべての人に限りない期待を込めて、オレの2007年最後の日記としたい。
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