2007年03月09日(金) |
森進一よ、「おふくろさん」を唄え |
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森進一がその代表曲「おふくろさん」の歌詞の一部を改変し、最初に語りの部分を勝手に入れたということで作詞者の川内康範が激怒し、もう唄わせないとまで怒り狂っているわけだが、オレはこの件に関しては川内康範に言いたい。おまえはなんてケツの穴の小さいジジイなんだと。自分の作詞した歌をここまで国民的名曲にしてくれたのは他でもない森進一じゃないか。自分の歌詞がよかったからだと思ってるのか。どんな泡沫歌手が歌ってもヒットしたと思ってるのだろうか。語りをいれたことによって歌の値打ちが下がったのか。全く別物になってしまったのか。そんなことはないだろう。大きな心で森進一の工夫を許してやるのがそれが度量の広さを表し、演歌の発展につながるのじゃないか。オレはそう思うのである。
もっともオレも最初は、勝手に語りを加えた森進一に一方的な非があると思っていたのだ。しかし、今日の帰りにカーラジオから流れてきたのは、森進一が歌う「おふくろさん」だった。久しぶりにじっくりと聴くことができた。聴いていてオレは思った。この歌は他の誰にも歌わせてはならない。森進一が歌ってこその「おふくろさん」なんだと。時に絶叫し、絞り出すように切々と想いを込めるその歌いぶりにオレは感情移入してしまっていた。これがまさに彼にしか歌えない「おふくろさん」なんだとオレは涙が出るくらいに感動したのである。
オレは美空ひばりを戦後最高の歌手だと思っている。誰もあの高みに登ることはできないし、「川の流れのように」を天童よしみが歌っているの聴いた時、オレはかなり腹が立ったのである。「なんでおまえが歌うんだよ」と思ったのだ。余りにも格が違いすぎるだろ。なんでそんな畏れ多いことができるんだ。もっと自分のレベルを弁えろとオレはテレビの前で罵声を浴びせた。
「津軽海峡冬景色」はなんと言っても石川さゆりの名曲である。これも他のぶさいくな女に歌わせてはダメだ。オレは今でも石川さゆりにこのとき最優秀歌唱賞を与えず、あのYとかいうケバいおばはんに与えた業界の連中をクソだと思っている。その証拠にみんな「津軽海峡冬景色」は覚えているが、その年に最優秀歌唱賞を誰がもらったかなど全く覚えていないのである。石川さゆりはそのとき賞は獲れなかったが、人々の心にしっかりと自分の歌を刻みつけた。それで十分じゃないか。イカサマの賞レースよりも、真にすばらしいものが何かを人々が理解していればそれでいいのだ。そんなイカサマばかりやってるうちにいつのまにかレコード大賞が権威を失ってしまったのは自明の理である。
今回のトラブルを著作権の問題として見ると、川内康範が主張できるのは著作者人格権であり、演奏権は森進一の側が保持しているわけだ。だから一方的に「歌うな」と主張することも無理があるのではないか。ただ、この件に関してはトラブルになってからの森進一の態度に問題があることから発展して、森進一の人格そのものを否定するような多くの理由付けもなされている。あまりに礼儀知らずで傲慢な態度に川内康範サイドがキレたということである。
森進一がどんな人間かは、女性問題のスキャンダルで一旦芸能界を干されて母親が自殺したこととか、大原麗子に対するDV疑惑とか、森昌子を家から叩き出したこととかから考えてろくでもないヤツであることはよくわかる。愛する女を大切に出来ないヤツはクソである。だから森進一を弁護する気はさらさら無い。森進一はここまで問題がこじれた以上、川内康範の前で何時間でも土下座して許しを乞うしかないのかも知れない。川内の滞在するホテルの玄関前で三日くらい土下座して居ればさすがの川内も怒りを解くかも知れない。と無責任なことをオレは思ってしまうのだが、おたがい芸能界の人間だからすべて計算ずくで今回の茶番を演じてるんだろう。おかげで週刊誌もスポーツ新聞もよく売れるしワイドショーの視聴率も上昇して三方一両得である。やっぱり森進一は芸能界に貢献しているのである。
森進一の歌う「おふくろさん」はすばらしい。これはまぎれもない事実だ。彼の性格がどんなに悪いのだとしても、あの歌のよさとは無関係だ。性格のよさだけでは国民的歌手にはなれない。森進一、こんなつまらないことでせっかくの名曲を封印しないでくれ。吉幾三なんかに絶対に歌わせるなよ。もしも仮に封印することになったとしても、ジジイがくたばったらそのときは心おきなく語りを入れてじゃんじゃん歌ってくれ。オレは楽しみにしているぜ。
←なぜか5位に後退m(_ _)m