2007年01月02日(火) |
ヤマトを汚した男 |
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宇宙戦艦ヤマトはオレの青春である。オレはあの主題歌を歌詞を見ないでカラオケで歌うことが出来る。それはなぜかというと、オレの人生最大のイベントはヤマト抜きには語れなかったからである。オレがまだ高校3年の受験生の頃、テレビではアニメ「宇宙戦艦ヤマト」を放映していた。終了間際にはいつも「地球滅亡の日まであと○○日」という文字が出た。オレは共通一次試験を控えていた。教室の後ろの黒板にはいつも「共通一次試験まであと○○日」という文字があった。日直の生徒がその日付を書き直すことになっていた。ヤマトに残された日々は、同時に受験生であるオレに対してのメッセージでもあったのだ。ある日教室の後ろの黒板に落書きをしたヤツが居た。そいつはご丁寧に「共通一次試験まであと○○日」の後半部分に付け足して「あと○○+365n日 ただしn=0は稀である」と書き足していたのである。いかにも受験生らしい悪戯であった。それを見た担任の教師も苦笑していたことを覚えている。
1979年1月、オレは共通一次試験を受験し、その春には運良く京都大学に入学できた。級友のうち半分近くは浪人したのでそのnのところには1という数字が入ったことになる。京都大学の二次試験の前夜もオレは宿のテレビで「宇宙戦艦ヤマト」を見ていた。試験の前日だからといって観ないわけにはいかなかったのである。それをきちっと観ることが何より受験生のオレにとって落ち着ける試験前夜の過ごし方だったのだ。その後公開された劇場版宇宙戦艦ヤマトのシリーズももちろん観に行ったが、なかでも感動したのはやはり「さらば宇宙戦艦ヤマト」だった。デスラー総統が登場したときに観客の中から拍手がわき起こったことをオレは覚えている。
さて、今回この暴言コラムを書くに当たって調べてみたのだが、あの作品は個人の著作物というよりは多くの方のアイデアを結集して作られた一つの壮大なプロジェクトであったことがわかった。松本零士はそのキャラクターデザインは担当しているが、著作権者ではなく、松本零士が西崎義展に対し映画の著作者が松本零士であることの確認を求めた訴訟は1審で棄却され、控訴審中に松本零士・西崎義展の間で法廷外和解により映画の著作者は西崎義展・松本零士の共同著作であり、代表して西崎義展が著作者人格権を有することが確認されたのである。
松本零士はこの裁判の決着が不満だったのか、どうしてもそれでゼニを稼ぎたかったのか、あろうことか彼はパチンコ屋にそのキャラを売り渡したのである。なんと情けないジジイだろうか。パチンコ台製造大手の三共が製造したパチンコやパチスロでは「大ヤマト」のタイトルで、宇宙空間を飛行する戦艦や軍帽を目深にかぶった熟年の艦長が登場する。大当たりしたときに流れる音楽は「さらば〜宇宙よぉ〜♪」である。どう考えても「宇宙戦艦ヤマト」そのままである。まさか名前を「大ヤマト」にしたから別物だとも言いたかったのだろうか。オレはあまりのことにあきれてしまうのである。
さて、これを観た映像製作会社の方は当然著作権の侵害を訴えた。これは明らかに宇宙戦艦ヤマトや沖田十三艦長をまねたものである。誰が見てもそうであるし、パチンコで遊ぶ人もみんなそう思っていたはずである。しかし東京地裁は12月27日、販売差し止めなどを求めた映像制作会社側の訴えを退け、訴えられていた遊技具メーカー三共と松本零士氏側の勝訴判決を言い渡したのである。
清水節裁判長は「宇宙空間を背景に先端部の発射口から光線を発する飛行物体を描いた映像などは、特に目新しい表現ということはできない」と述べた。あの波動砲は「ありふれた表現」であり「宇宙戦艦ヤマト」のパクリではないということになったのである。 またこの裁判長は、乗組員などの人物についても「アニメの登場人物は顔や服装などの細部の違いで相当に異なった印象を受ける」と指摘して著作権の侵害は認めなかったのである。オレが見ても「そのまんまやなあ」と思ったものを「細部の違いで異なった印象を受ける」というとらえ方をしたこの清水節裁判長は、もしかしたらその細部の違いにこだわる究極のアニオタなのだろうか。そうでない限りあれを「明らかに違ったもの」と断定することはありえないのである。
アニメのキャラがパチンコ台に使用されれば莫大なゼニが転がり込む。その金額は数億円とも言われている。それ故多くのアニメがパチンコに使われることとなった。「北斗の拳」などはパチンコをしないオレでも知っているくらいだ。しかしそれを敢然と断る漫画家もいた。鳥山明は「ドラゴンボール」を使いたいという要請に対して「私は自分のキャラクターが、パチンコという大人の賭博に使われるのが我慢ならないんですよ。漫画を大人の賭博に使って、お金のために誇りを捨てる人たちがたくさんいる」「私は絶対に、パチンコに作品を売ったりしませんよ。だってそうでしょう、自分の子どもを賭博屋に売る人間がいますか?」と答えたという。やなせたかしも「アンパンマン」を使いたいという遊戯具製造メーカーの誘いを断ったという。当然だろう。子どもたちに夢を与えるはずのアニメが、大人の汚れた賭博の道具にされてしまうのである。まともな神経があれば拒否するだろうし、少なくとも自分の作品に対する愛があるならばそれを断って当然だ。
オレは少なくとも松本零士という漫画家をこれまではかなり尊敬していた。「銀河鉄道999」も好きだったし、何より彼が描く女性キャラはおれにとってあこがれの対象だったからである。それが少し変わったのは彼が槇原敬之を「自分の作ったフレーズをぱくって歌詞を書いた」と訴えた時である。そんなありふれたフレーズにいちゃもんをつけていったいどうしたんだとオレは不思議に思ったのである。このジジイ、年を取ってもうろくしておかしくなったのかと正直言って悲しかったのである。そうやって他人にケチを付ける松本零士は、「宇宙戦艦ヤマト」という日本のアニメ市場に燦然と輝くすぐれた作品の権利を私物化してパチンコ屋に売り渡したクソジジイだったわけである。晩節を汚すとはまさにこのことである。
どうしてもゼニが欲しかったのなら、自分の完全オリジナルのキャラだけをパチンコ屋に売ればよかったじゃないか。あんたにはあの作品があるじゃないか。あの四畳半アニメ「男おいどん」である。パチンコ台「男おいどん」なら絶対に誰も文句は言わない。サルマタパワーでフィーバーしてもらっていればそれで十分なのである。
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