2007年01月03日(水) |
殺人食品、餅はなぜ野放しなのか? |
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お正月になると必ず発生するのが、餅によるバイオテロである。この悲劇はこれまでずっと繰り返されてきたし、これからもずっと発生することは間違いない。我々日本人の食生活の中に餅というやっかいな食い物が存在する限り、どうしてもこの悲劇は防げないのである。餅は古来からおめでたい時に食べられてきた。今は主にお正月に消費されるのはそのせいである。もっとも餅自体は一年中販売されており、ちまきなどのようにきわめて限定された一時期しか製造・販売されない食品とは性格を異にする。しかし、一年中その危険なものが販売されているということが問題なのである。
お正月だけではなくこの事故は通年で発生している。しかし、それがほとんど報道されないのはおそらくサトウ食品などの餅製造メーカーがなんらかのアクションを起こしてマスコミに圧力をかけてるせいかも知れない。
それにしても、まさか食い物に殺されるなんて誰が思うだろうか。しかし、現実にその悲劇は毎年必ず起きているのである。この正月も首都圏周辺だけで4名のお年寄りが餅の犠牲となった。東京都で2名、茨城1名、新潟1名がさっきオレがWEB上で確認した人数だ。これは現時点での死者だけをカウントした数であり、救急車で搬送される数ははるかに多い。東京都内だけで元日から二日にかけて病院に運ばれたのは16名もあったのだ。死亡した2人以外にも意識不明の重体が7人いて予断を許さない状況である。お亡くなりになったお二人は府中市の68歳の男性と墨田区の76歳の男性である。餅の被害に遭ってるのはすべて60歳以上の高齢者である。
東京消防庁は「よくかむ」「なるべく小さく切って食べる」「家族がそばにつく」などの予防策を呼びかけているが、老人の一人暮らしなどの場合は手遅れになるケースも多い。
コンビニではこの危険なものが「サトウの切り餅」などの商品名で堂々と販売されている。そこには「老人には危険です」「食べる際に多くの死者が出ています」などの注意書きもない。これだけ多くの死者が出ているのに、餅を製造販売する業者を訴える動きもない。その食品が直接の原因による死亡ならば、少なくとも餅を販売する側にも一定の責任は存在するのではないか。餅を食べさえしなかったらこの悲劇は起きなかったのである。お亡くなりになったお年寄りが、餅ではなくて長崎名物の福砂屋のカステラを食べていたのなら絶対に死亡という結果には至らなかったはずだ。
餅の危険性はかなり昔から指摘されてきた。松本清張はその短編小説の中で、硬くなった餅が凶器として人を撲殺するのに使用され、しかもその証拠品の餅は雑煮になって取り調べに来た刑事が喰ってしまったという作品を書いている。餅は食べなくても十分に危険なのだ。また放置して青カビが生えるとこれもまた有毒である。オレの妹の嫁ぎ先では毎年暮れになると餅つきをする。大量の殺人食品はこのように家庭でも手軽に製造できるのだ。しかもその餅を丸めるという作業を小学生のオレの息子までが手伝っているのである。もしも餅によってお亡くなりになったお年寄りがお召し上がりになった餅の製造工程に孫が関わっていたとすれば、孫は自分の直系尊属の殺害に関与したということになってしまう。なんという悲劇だろうか。「おじいちゃんを殺したのはぼくの丸めたお餅だ・・・」なんてことになれば一生消えないトラウマを背負うことになるのである。断じてそのような悲劇を起こしてはならないのである。
それではどうすればいいのか。この殺人食品の危険性をもっと広くアピールし、食べられる年齢に制限を設け、60歳以上が食べることを法律で速やかに禁止するべきである。それでもどうしても老人が餅を食べる権利を保障したいのなら、はじめからチューインガムくらいの大きさに切った餅を販売して、「お年寄りは必ずこの餅を食べてください」と呼びかけることである。お正月の常として我が家にも大量の餅が存在する。危険なものが身近に大量に存在するのである。そんな危険なものを70歳を超えたオレの両親には絶対に食わせられないのである。
そういうわけで我が家にある餅は全部オレが食うのである。他の誰にも渡さないのである。この崇高な行為を「こら江草、おまえは食い意地が張ってるだけや」と罵る方もいるだろうが、この犠牲的な行為を「食い意地」だとしか考えられないのは不幸な連中である。そいつらには親孝行という言葉の意味をもう一度よく考えてもらいたい。一日でも両親が長生きしてくれるように務めるのが息子たるオレの役目である。そのために犠牲的な精神でオレが家族の危険を未然に防いでいるのである。誰にも文句は言わせないのである。それにしてもちゃんと家で搗いた餅はなかなかうまいのである。
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