江草 乗の言いたい放題
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2007年01月01日(月) 日本国再建試案2007        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan

 いつもくだらない暴言を書き散らしているオレだが、今日くらいは新年らしい建設的なコラムを書きたい。名付けて「日本国再建試案」である。借金まみれになってしまった今の日本の財政状況をどうやって建て直すかというかなり乱暴な意見である。ほとんど実現不可能なのはわかってるので、狂人の戯れ言とでも受け止めてもらえれば幸甚である。

 今の政治が利権政治と化してしまったのは、利権に関わる連中が多すぎてその多すぎる連中みんなにゼニをばらまかないといけないのでコストがかかりすぎる点だが、その連中の数をゼロにしてしまうと言うことは国会議員をゼロにすると言うことであり。下手をすると民主政治の否定につながってしまうのでむちゃである。とりあえず二院制を廃止して国会議員の定数を200名くらいに削減してしまうというのはどうだ。人口60万人あたりに1名くらいの議員数にしてしまうのである。一票の不均衡をなくすために選挙区の枠をとっぱらってしまって日本中で一つの選挙区にしてしまうのだ。しかも泡沫候補をなくすために供託金を1000万円くらいにして、10万票以上とれない場合はその供託金を没収するなんてことにすれば立候補者も絞れるだろう。国会議員を地域から切り離すことで「地域の利益代表」という存在意義を失わせてしまうのである。そして国会議員には「外交・教育・財政政策」といった国家の根幹にあたることだけを担当させるのだ。地方のことは地方議員にまかせておけばいいのである。

 その地方議員だが、議員報酬を全廃する。つまり地方議員は全員ボランティアにしてしまうのだ。ふだんはサラリーマンだったり医師だったり教師だったり裁判官だったりという方々が、夜になって仕事を終えてから集まって議会を開くようにすればいい。都道府県レベルなら集まるのが困難でも市町村レベルなら案外可能なはずである。地方議員というのは無給で大衆のために奉仕する名誉職にしてしまうのだ。もっとも別に無理に兼業にしなくてもいいわけで、年金暮らしの方とか専業主婦とか働かなくてもいい大金持ちとかが昼間の暇な時間に議会に出席すると言う形でもかまわないわけだ。

 きちっと決められた仕事をしている公務員や市長が給料をもらうのはわかるが、オレから見れば議員報酬というのが支出されてることがどうも納得いかない。もしも議員報酬を残したいのなら政治献金を全廃しろ。今の状況ならばゼニを二重にもらってることになる。一方で政治献金という名の合法的な賄賂をもらいながら、国からもちゃんと給料をもらってるというのはどう考えても矛盾だろう。献金は残してやるから議員報酬はなしだ。てめえら自分のシノギは自分でなんとかしろと言えばそれがヤクザと同じということがやっと国民には理解されるだろう。ヤクザだって給料制ではなくてみんなてめえのシノギを持っていてみかじめ料をとったり女から搾取したりしてるじゃないか。

 オレは今の議員というのは利権にむらがるヤクザみたいなものだと思っているぜ。そんな社会のゴミは少しでも少ない方が世の中のためになるだろう。議員定数を思い切って減らすという意図は、ゼニが掛かりすぎている今の行政システムの改革だ。なぜ行政システムはどんどん肥大するのか。大阪市や大阪府は多数の外郭団体を持ち、そこには職員が出向や天下りするだけではなく補助金という形で膨大な税金が支出されている。そうした構造は大阪だけではなくて全国に存在するはずだ。何をやってるのかわからないような意味不明のそうした組織を大胆に整理して、不要な職員を必要な部署に回す。これが大事だろう。

 そのときには給与の適正化も必要だ。たとえば大阪市バスの運転手の平均年収は800万を超え、1000万円を超えるものが200名以上もいるらしい。武蔵野市では給食のおばさんの退職金が2000万だとか、東京都では通学路の安全を確保する緑のおばさんの年収が500万と聞いたことがある。そういう給与水準は社会通念上明らかにおかしいわけだ。そんなおかしな状況になるまでそれをチェックする機関は存在しなかったのかとオレは思うのである。民主政治というものがきちっと機能していて、議会が政治や行政の誤りを正すという本来の機能を果たしていればこのようなことは起きえなかったわけで、そいつらが基本的に内輪で八百長やイカサマで回してるからこんなことになるのである。

 そしてオレが田舎を車で走っていていつも感じるのは、国道沿いに建ってる巨大なパチンコ屋やショッピングモールなのだ。なぜ田舎にこんなものがあるんだ。なぜ公営以外のギャンブルを禁止しておきながらパチンコ屋のようなものが存在するのか。パチンコにはまる愚かな大衆から搾取された資金は暴力団や北朝鮮へと流れていくのだが、同時に多重債務や家庭の崩壊、生活保護世帯の増加にもつながっている。賭博というのは一種の麻薬である。このパチンコという産業を非合法化してしまえば、その麻薬に落ち込んでしまう多くの愚かな大衆を救うことが出来るのだ。彼らがそうやってあまった余暇の時間をプレイステーションやニンテンドウDSで遊ぶことに使うのならたいしてゼニも掛からないし、家庭の崩壊や借金地獄を巻き起こすわけでもない。

 オレはずっとこのコラムでパチンコという30兆円産業を批判し続けてきた。生活保護受給世帯がパチンコにゼニを使ってることを発見したら即座に保護を打ち切るべきだと主張してきた。この業界が放置されているのは警察がその利権とつながり、暴力団や政治家とつながる利権構造の闇が存在するからである。それを著書で告発しようとした溝口敦氏は何ものかに刺されて重傷を負ったがまだ犯人はつかまっていない。もとより警察はそれをまじめに捜査する気などない。その係累が自分たちの身内につながることを恐れるからである。

 かつての勤勉で高いモラルをもった日本人を取り戻すためには、社会の腐敗部分を一つずつ取り除く必要があるのだ。大手スーパー、ダイエーの没落は日本の流通業界の再編を促したが、イオングループは郊外への巨大ショッピングモールの展開によって駅前通の商店街を破壊した。かつてのにぎわいをうしなった商店街はシャッター通りと化し、高齢化の進んだ商店主は収入の術を失って生活保護を受給したり破産したりしている。映画
ALWAYS 三丁目の夕日で描かれたようななつかしい街の風景を取り戻すためには郊外の大規模小売店を規制することである。地元との共存をはかるならば、既存の商店街で営業している店舗に既得権を与え、それらのショッピングモールに無償で入居できる権限を与えることである。その条件を満たさない限り設置を認めないなどの方法で、地域コミュニティが破壊されるのを防がないといけない。

 オレはいつもここで主張してきたが、田舎は田舎のままでいいということだ。そこにゼニをばらまくから田舎の人間が腐敗するのである。ゼニが欲しかったらイナカモンドリームという方法で得るのではなくて、勉学に励んで都会に出て高学歴を身につけて、そこで夢をつかむといういわゆるジャパニーズドリームを目指せと言いたい。少なくとも昭和40年代の日本にはそれがあったのだ。

 まだ公立高校が進学校として健在で、受験産業がさほど発達していなかった昔は学歴とは本人の努力によってのみ得られるものだった。塾や予備校という教育のノミ行為が力を持つことによって貧富の差による教育の機会の不平等が生まれてきたのである。ゼニをかけたからといって確実に学歴が身に付くものではなく、究極の馬鹿はいくらゼニを掛けても本来馬鹿のままのはずである。それがなぜか貧富の差による結果の不平等が生まれてしまうのは、公教育が十分に機能せず、公立の小中学校における学級崩壊が進んだからである。オレはその元凶は進学塾にあると思っている。子供たちが学校ではなくて塾を学びの場であると誤解しだしたとき、学校が学びの場ではなくなってそこがただの遊び場になってしまったときになぜ塾を規制しなかったのか。

 なぜ大阪府は学区トップの進学校にいた受験指導のノウハウに長けた優秀な教員たちを、強制異動という人事でおよそ進学とは無縁の底辺校にばらまいたのか。そこで生活指導に明け暮れさせられて多くのやる気のある教員が職を辞したり予備校や私学に流れていったのである。それは結果的に私学の中高一貫教育の学校の進学実績を伸ばし、公立高校をさらに没落させたのだ。子弟を私学に入れることの出来るゼニのある階級だけが高いレベルの教育を受けることができ、教育に於ける貧富の格差はさらに広がったのだ。入学試験の偏差値の低い大学ほど親の収入も低いという学歴と収入の相関性はこうして生まれてるのである。

 塾を非合法化して公教育を建て直すことしか、教育の世界に真の平等性を取り戻す手段はない。貧しかったオレの母親はオレがまだ小学生の頃にこう言った。「勉強だけは金持ちも貧乏もない。がんばったら貧乏人でも金持ちに勝てるんや」と。

 今の日本の若者の学習意欲は中国や韓国の若者と比較してまさっていると言えるだろうか。もちろん一握りの熱心な若者は今でも存在するだろう。しかし平均的な若者のレベルは大きく劣ってしまっている。大学が増えすぎて希望者がほぼ全入出来るようになり、今4割の大学は定員割れだという。なぜ文部科学省はどんどん大学設置を認可してしまったのだ。そうやっておよそ大学生の名に値しない馬鹿学生のいる大学にも補助金という税金が垂れ流しされ、じゃあその学生たちがまじめに勉強するのかというと、ただ4年間遊んでるだけで卒業してもニートにしかならない。ニートの増加の原因の一つが、こういう馬鹿学生しかあつまらない粗製濫造の大学の増加である。大学というのが必死で受験勉強した結果やっと入れる聖域ではなく、どんな馬鹿でも高校さえ出ていれば入れるようになったから、目的意識のないままに卒業する大学生が増えたのだ。

 大学の数を今の半分以下に減らせば、無駄な補助金を削減できるし、そいつらを働かせれば労働力不足も解消する。今の中小企業の多くは単純労働や肉体労働を日本人の若者がいやがるために外国人労働者に頼っている。研修生という名目で受け入れたり、不法就労という実態をとっていたりするのはそのせいである。大学に入れるのが一部の優秀な高校生だけということになれば必然的に高卒で就職する人も増え、結果的にこれまで外国人を雇用するしかなかった中小企業にも人が来るようになるだろう。昔炭坑で働ければ中卒でもいきなりかなりの月収が得られたように、今でもトヨタ自動車の期間従業員に応募すればすぐに月収30万近くが得られ、正社員登用への道も開けているのだがなかなか人が集まらないという。日本の産業を支えるのはやはりこうした製造業である。そこにきちっと人が集まるような政策を実行しない限り日本の将来はない。

 なぜ企業がどんどん海外に流出してしまうような教育政策を日本はとってきたのか。なぜ馬鹿しか入ってこない大学を乱立させて貴重な若者の労働力を無駄にする結果になったのか。いますぐ大学をどんどん審査し、学生の学力水準が一定水準以下のところの補助金を打ち切り、それで倒産するような大学をどんどん淘汰すれば、大学の数は今の半分程度に減らせるはずである。今の腐れ政治家どもは国家の数十年先を見据えた政策ビジョンなど誰も持っていない。この状況を劇的に変えるためには、既存の政党ではなく新たな政治勢力を創り出すしかない。オレがここで書いてることはこの暴言コラムの中にあるだけならただの暴論である。しかし誰かが本当にこれを実行しようと意図して動き出したとき、今の日本を救う切り札として機能するはずである。何もかも変わらないといけない。このまま日本が惰性で借金を増やし続け、大企業よりの政策を続けたときに待ってるものは破滅だけである。


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