2006年12月02日(土) |
わたしたちは日本に見捨てられました |
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第二次大戦後の混乱の中で、多くの日本人の子どもが中国に置き去りにされた。その「中国残留孤児」の帰国が始まったのは1972年の日中国交正常化以降である。オレはドラマ「大地の子」を見てその苛酷な運命に泣いた。そして思ったのである。陸一心(上川隆也演じる「大地の子」の主人公で、中国の養父のつけてくれた名前がこの陸一心)のような少年はおそらく無数にいたのだと。そしてもう一つの疑問をオレは感じたのである。なぜ多くの親たちが子どもを置き去りにして逃れてきたという事実を当時話題にしなかったのかということだ。その事実は、公然の秘密として隠蔽されてきたのではないか。「自分だけ助かった」という後ろめたさが、その事実を語ることを阻んできたのではないか。
ドラマ「大地の子」でやっと日本からやってきた父親が娘と対面できるが、それは娘が死んだ直後だったという場面がある。陸一心はそのとき「どうしてもっと早く見つけてくれなかったのですか」と父親を罵倒する。オレの父はその時テレビの前で滂沱の涙を流していた。なぜすぐに残留孤児を迎えに行けなかったのか。その後中国が共産党と国民党軍の内戦に入ったという事情もあるだろう。また戦争で多くの犠牲者が出たことに比べれば、子どもを置き去りにしてしまったということは小さな問題と見られたのかも知れない。事実としてその後この子どもたちは30年近い年月を中国で過ごし、日本人であるがゆえの差別や迫害を受け、ある者はその出自を隠して中国人として生きてゆくしかなかったのだ。日本政府に見捨てられた存在としてである。
中国残留孤児訴訟:国に賠償命じる 神戸地裁判決
兵庫県などに住む中国残留孤児65人が、第二次大戦後に中国に置き去りにされ、帰国後の自立支援も不十分だとして、国に1人当たり3300万円の賠償を求めた訴訟の判決が1日、神戸地裁であった。橋詰均裁判長は「帰国を妨げる違法な措置があったうえ、帰国後の支援も北朝鮮拉致被害者に比べて極めて貧弱」などと国の法的責任を一部認め、計61人に総額4億6860万円の支払いを命じた。永住帰国した孤児の約8割にあたる2201人が原告となり、全国15地裁、1高裁で係争中の集団訴訟の一つ。残留孤児に関する国策に誤りがあったとした初めての判決で、他の訴訟に大きな影響を与えるとみられる。訴えていたのは59〜74歳の残留孤児で、1976〜99年に永住帰国した。一連の訴訟で初の判決となった昨年7月の大阪地裁は、孤児の訴えを全面的に退けており、相反する結果となった。
判決に関する記事を読んで驚いたのが、集団引き揚げの終了が1958年になっていたことである。なんと戦争が終わってから13年も掛かっていたのである。昭和33年ならオレが生まれる少し前である。もう日本は戦後の復興期に入っていて、その頃なら人々の生活にもかなりの余裕が生まれていたはずである。なぜそのときに「まだ置き去りになっている人がいる」という訴えが国を動かすまでに至らなかったのか。いくら国交がなかったとはいえ、オレには「国家が国民を見捨てた」としか思えないのである。
その悲劇に対して、日頃オレから罵倒されてばかりの裁判所が、やっとまともな判決を出してくれたことを喜ばしく思う。裁判とは「正義の実現」だとオレは思うからだ。幼い頃に親と離ればなれになったのなら言葉も不自由だろう。日本の生活習慣にもなかなかなじめない可能性も高い。そんな残留孤児たちへの生活支援が不十分で、そのためにちゃんとした生活の基盤を築くことができず多くの人が生活保護を受けたりしているという現状がある。オレが住む街にも多くの中国残留孤児の方々がいて、小学校の運動会では日本語のアナウンスの後に中国語のアナウンスが流れる。かつて国家が多くの国民を犠牲にし、そして見捨てたという事実を我々は忘れてはならない。多くの人の痛みと犠牲、そして流した涙の上に我々の繁栄が築かれているのである。
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