2006年10月27日(金) |
最後の打席で泣いた男、新庄剛志 |
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北海道日本ハムファイターズ、日本一おめでとう。チームはリーグ最下位なのに楽天市場では日本一おめでとうセールをやっているのだ。勝手に便乗するなよ。チームが優勝に湧いたその夜は、新庄が引退を決めた最後の試合でもあった。かつて阪神タイガースの4番を打った男として、そしてオレがその活躍をずっと期待してきた個性豊かな一人の名選手がこうして最高の形で野球人生を終えたことをオレは祝福したい。
新庄が阪神タイガースの4番を打っていた頃、阪神はセリーグで一番弱いチームだった。しかしオレは新庄が好きだった。かつてのタイガースの歴史を築いた個性豊かなプレイヤーたちの系譜に連なる一人として、オレは新庄を認めていたからだ。もしも彼がタイガース一筋でその野球人生を終えていれば、多くの阪神ファンは彼のことをミスタータイガースと呼んだかも知れない。4代目ミスタータイガースだった掛布雅之以来のその名誉ある称号を受け継いでいたかも知れないのだ。
オレは新庄の活躍した場面をいくつも鮮明に思い出すことができる。あの松井秀喜でさえ打てなかった全盛期のハマの大魔神、佐々木からサヨナラホームランをかっ飛ばしたことがあった。誰もできないことをやり遂げる、甲子園にそんな奇跡を呼ぶのが新庄の活躍だった。巨人戦で敬遠されたとき、槙原が中途半端に外したボールを強引に打ってサヨナラ勝ちしたこともある。毎年のように最下位争いを続けるチームの中で唯一光っていたのが新庄の存在だった。誰もが勝利をあきらめたその時に起死回生の一打を放つ、そんな劇的な場面を何度見せられたことだろうか。
日本シリーズで最後の打席に入った新庄は泣いていた。涙を流しながら打席に入った選手をオレははじめて見た。フルスイングで3球3振した時、ファンは惜しみない声援を彼に贈った。3振してこんなに祝福を受けた選手が他にいただろうか。
新庄が北海道日本ハムファイターズに入団するとき、自分の活躍で球場を満員にすると大言壮語を吐いたのだが、その公約は見事に果たされたわけである。4月に彼が引退宣言をして以来、その最後の勇姿を見ようと大勢の観客が球場に足を運んだのだ。
阪神タイガースから提示された5年12億円という条件を蹴ってわずか年俸2200万円でメッツに入った新庄が、そこで4番を打つとは誰が想像しただろうか。松井秀喜やイチローと違って、新庄はほとんど期待されずに渡米し、そこで誰も想像しなかったような大活躍をした。
一人の野球ファンとして、リアルタイムで新庄剛志を見ることができたことをオレはこの上もない幸福だと思っている。オレは沢村栄治がどんな剛速球を投げたのか、景浦将がどんな豪快なホームランを打ったのかを直接この目で見たわけではない。しかし新庄の数多くの記憶に残るプレイをオレは幸運にも見ることが出来た。仕事を終えて家に帰ればいつも試合終了までサンテレビのナイターを見ていたオレは、新庄が打席に入るたびに胸がワクワクするような興奮を覚えていたことを思い出す。ありがとう新庄剛志。今の日本を代表する野球選手3人を選ぶとすれば、イチロー、松井秀喜、そして新庄剛志だ。絶対にそうだとオレは思っているぜ。
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