2006年07月05日(水) |
書評 『ミーナの行進』 〜小川洋子 |
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1972年(昭和47年)、新幹線は新大阪から岡山まで伸び、ミュンヘンオリンピックでは男子バレーボールが金メダルを獲得した。この小説はその年に親元を離れて一年間、伯母の神戸の超お金持ちのお屋敷で過ごした中学1年生の少女、朋子の物語である。
小川洋子と言えば映画にもなった「博士の愛した数式」が有名だが、この『ミーナの行進』もそれに劣らない素敵な物語である。作品中には「フレッシー」という清涼飲料水が登場する。そう、朋子が一年間居候するお屋敷の主は、フレッシーの製造で財を成したということになってるのである。オレは当然のように、子どもの頃によく飲んでいた「プラッシー」という米屋のオレンジジュースを思い出した。ちょっと酸味があって甘すぎず、かなりお気に入りだった。どきついオレンジ色をしたバヤリースオレンジの強烈な甘さが苦手だったオレは、色も薄い黄色で甘さ控えめのプラッシーを好んでいたのである。作品中に登場するきわめて重要なアイテムであるこのフレッシーをオレは自分がよく飲んでいたあのプラッシーに置き換えて読んだのである。
「博士の愛した数式」同様にこの「ミーナの行進」も淡々とした日常を丁寧に描き出す。「博士」にあたるのが、朋子の一つ年下でありお屋敷のお嬢さんである「ミーナ」だ。病弱なミーナは巧みな想像力でマッチ箱の挿絵の物語を紡ぎ出す。シーソー象の物語、タツノオトシゴの物語、流れ星の物語。わずか一年間の芦屋での生活は朋子にとっては宝物のように貴重な日々となった。時は流れても、思い出はそのままに色あせた写真と共にある。 いつでもそれを思い出すだけで幸福になれる、そんな宝物のような時間を所有できることは人にとってもっとも大切なことかも知れない。
「博士の愛した数式」を読み終えた後ですぐにもう一度最初から読みたくなったように、オレはこの「ミーナの行進」もたちまち二度目の読みに突入した。映画を二回見ると一度目には気づかなかった伏線がいくつも理解できるように、小説も二度読むと作者の丁寧な描写に改めて感嘆させられる。そしてこの作品の魅力は最後まで一気に読ませるその展開の巧みさもさることながら、食欲をそそるいろんな食べ物の描写に尽きるのである。六甲山ホテルのディナーからお弁当のおかずに至るまで説明は細部にわたる。料理を作る人の気遣いがそのはしばしに感じられるのである。
そんなに気に入れば当然映画化を期待したくなるところだが、現実世界を見渡したとき、ヒロインのミーナのように魅力的な少女がいったいこの世のどこにいるだろうか。このお屋敷の住人のように誇り高く上品な人たちがどこにいるだろうか。オレはそんな意地悪なことを思ってしまうのである。かつて確かに存在し、今はもうそこにはない失われたものへの哀惜、それが作品中の重要なテーマである。つまりこれは喪失の物語なのだ。誰もが心の中にそうした宝物を持っているからこそ、この作品は心に強く訴えるのである。今年読んだ本の中のマイベストはまぎれもなくこの一冊である。
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