2006年05月01日(月) |
ネパール皇太子は人殺しである |
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ネパール王族殺害事件とは2001年にネパールで発生した政変である。公式発表ではディペンドラ皇太子が王族を虐殺したとされている。ディペンドラ皇太子は結婚したい相手について父・ビレンドラ国王や母・アイシュワリャ王妃に反対されていたため、毎週定例の王族パーティに出席した際に銃を乱射。皇太子自身も直後に銃で自殺を図って死亡。国王夫妻、シュルティ王女、ニラジャン王子、王の妹や弟ら9〜11人がその時に射殺されたとされている。王族が大量に殺されたことから考えて、これは後継者争いのための内紛だと誰もが憶測したわけである。そして犯人は必ず、その後に一番得をするヤツである。
その政変の結果、たまたま地方視察のためパーティーを欠席して生き残ったビレンドラ国王の弟であるギャネンドラが王位につき、その子パラスが皇太子となった。この事件にはいくつかの重大な疑惑がある。自殺したはずのディペンドラ皇太子の傷は後ろから撃たれたものだったという。また出席者の中の生き残りはギャネンドラの家族ばかりだったこと、周囲を警護していたはずの国軍が物音に気づかなかったという点である。
地元ではこの事件の真相として「親印派の王弟ギャネンドラがアメリカ・インドの後押しを受けて、親中派のビレンドラ国王・ディペンドラ皇太子らを抹殺した宮廷クーデター」だったという見方が強い。証拠隠滅のためか、死亡した王族の葬儀は即座に非公開で行われてしまった。こんなミエミエの後継者争い、日本でも戦国時代ならありふれたことだったかも知れないが、現代に発生すればかなりの衝撃である。そんなやり方を国際社会は絶対に肯定すべきじゃないだろう。日本政府もネパールに対して断交してもよかったとオレは思っている。権力者なら殺人もOKだなんてひどすぎるじゃないか。こんな無法国家を排除することが国際社会のルールを築くということである。他国の国民を拉致して人権侵害しているお隣の国も同様なんだが。
ビレンドラ国王は民主的な政策で国民にも慕われていたのだが、新たに即位したギャネンドラは非常大権をもって議会を停止し内閣を親しい人間でかためるなど専制的な政策をとったのである。ちなみにネパール国軍は議会や内閣ではなく国王の直属となっている。
その事件の真相を現場で見ていたはずの人物であるパレス皇太子、これがどうもとんでもないくせ者らしい。2000年8月には王宮近くでネパールの人気歌手をクルマではねて死亡させている。女性関係を巡ってその歌手に注意を受けたことを根に持っての殺人という説もあるらしい。それ以前にはタクシー運転手をひき殺すという事件も起こしているとか。しかもそれらの事件に関してまだ一切の処罰は受けていない。そんなとんでもない人殺しが皇太子としての地位を保っていることはオレには全く理解不能なのである。ネパールではどうやら王族に対して世間一般の法律は適用されないようだ。殺人もレイプもやり放題なんだろう。こんなひどい国が21世紀にもまだ存在したのである。
その皇太子がまたまたやってくれたのである。4月29日夜、ゴルフ帰りのパレス皇太子はカトマンズ市内でクルマを猛スピードで運転中にバスと衝突、そのまま逃亡したのである。人間というのは悪いことに対して徐々に免疫がつくものであり、よりレベルの高い悪事を行うことでそれ以下の行為は悪事とは思えなくなるのが普通である。パレス皇子の場合は王族殺害事件に関与していた疑いが強い。血のつながった自分の一族を、銃の乱射で皆殺しにするような残虐な行為と比較したら、交通事故なんて悪のうちにも入らないのだろう。恐るべきことはこの殺人皇太子、昨年の愛知万博の「ネパール・ナショナルデー」出席のため来日していたのである。どうやら日本では誰も殺さなかったようである。おそらくクルマを運転するヒマもなかったのだろう。運転していればどうなったかわからない。
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