2006年04月21日(金) |
小学校での英語教育は不要である |
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オレはこの日記で教育については語らないことをひとつのルールにしてきた。それはオレの職業が教師だからだ。少なくともここではただの暴言野郎としてのスタンスを貫き、教師としての立場で語らないというルールを自分に課していた。だから教育ネタは封印していたのだ。(もっとも、書こうと思えば教育ネタはいくらでも書けるのだが、その内容は現在の教育システムについての批判めいたものになってしまうのだが)
しかし、小学校での英語教育を必修化しようという動きだけは断じて阻止しないといけない。だからあえてここで触れることにしたい。そんな馬鹿なことはやめてくれと。そんなことをすれば、今でも十分にお馬鹿な小学生が多いのに、さらに馬鹿を増やすことになってしまうじゃないかと。
今、日本では中学・高校と6年間英語を学ぶことになっている。6年間も勉強するのである。かなり十分な量である。それだけ勉強したから、オレはハリー・ポッターもディケンズも翻訳なしで読めるし、もちろん英字新聞も読めるし、洋画を字幕なしで理解できる。ヨーロッパを丸一ヶ月間も一人旅したが全然問題なかった。もちろんオレの場合は学校での英語学習以外に受験勉強という名の過酷な英語学習を高校2年から3年にかけての2年間、ほぼ毎日2〜3時間やった。一人旅の直前は半年くらいNHKのラジオやテレビの英会話の講座を録音や録画してのべつまくなしに聴きまくった。旅を終え、丸一ヶ月日本語を使わない生活から帰国したオレは、妹の話では寝言も英語だったそうである。とにかく、それくらい時間をかけて本気でやればちゃんとできるようになるのである。
英語が出来ないのを学校のせいにしたり教師のせいにしたり日本の教育システムのせいにしたりするのは、たいていろくに勉強もしなかったくせに英語が出来ないとほざいている馬鹿どもである。そういう馬鹿に限って「どうやったら英単語をたくさん覚えられるのですか?」と質問してくる。「おまえのような馬鹿には無理だ」と言いたいところだが、とりあえず「そんなくだらないことを問うヒマが有れば一個でも余分に覚えろ」と言いたい。とにかく、現行制度でも十分に英語を学ぶ仕組みは用意されてるのに、それを活かせていないだけなのだ。そういう馬鹿に合わせる必要はないのである。
小学生の頃というのは、母語である日本語の知識がまだ不十分だ。そんな大切な時期に国語教育に悪影響の出るような英会話学習など全く不要である。もっと国語や算数の時間を増やすべきである。ろくに字も知らないし書けない若者が増えてることの方が問題だ。母語というのは思考のベースになることばである。いくら英語に堪能な学者であっても日本に生まれた日本人ならおそらく日本語で考えてるはずだ。ところがその思考のベースとなる言語の理解が不十分なままだったらどうするのだ。
英語教育の専門でもない小学校の教員に中途半端なまま英語の授業を担当させるのもむちゃだ。オレは中学の時におかしな英語教師に習ってひどい目にあったことを思い出す。「英単語は手で覚えるんです!」と言って新しく出てきた単語をノートに20回ずつ書かせるのである。「map」という単語をオレは一回しか書かなかった。そんなやさしい単語、一目で覚えられるのである。ところがオレは、ちゃんと宿題をやらなかったからと罰を与えられたのである。「なんで20回も書かないといけないのですか?時間と労力の無駄です。たいていの単語は一回見ただけで覚えます!」と文句を言うと「単語は手で覚えるんです!」と言われた。おまえの脳は手に付いてるのかとそのときオレは思ったぜ。
中高6年間も英語の勉強をしているのに。ほとんどの者がそれだけかけた時間に見合った成果をあげていないのは事実だ。それを3年早めて9年間にしたことで劇的に変わるとはオレには思えない。むしろ英語嫌いを増やすだけだろう。日本人の英語力の向上は現行の6年間の英語教育の質を高めることで対処可能なはずである。もしもこれまでの英語教育が間違っていたのなら、日本人のビジネスマンが世界で活躍することなど不可能だったはずである。
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