2006年04月16日(日) |
恩師の思い出(S先生に捧ぐ〜) |
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大阪市内に宰相山公園というところがあって、その西に軍人墓地と呼ばれる一角が広がっている。小さな墓石が一面に広がっていて、桜がたくさん植えてある。奥まったところに一本の桜の古木があって、満開の頃には近所の人がその下にゴザをひいてお花見をしていたりする。「この雨でもう散ってしまうかな・・・」とオレは帰り道にクルマを石段の下に駐めて、傘を差して誰もいない墓地の中を歩いてみた。
地面には花びらがびっしりと敷き詰められたように落ちていて、その上を歩くのが少しためらわれた。自分が踏むと花びらが泥まみれになってしまうからだ。しばらくその景色の中でぼんやりと突っ立っていて、それからなんとなくオレは30年近く前のことを思い出していた。なぜ自分はここにいるのか。自分はどうして教師という職業になったのか。そんなことをぼんやりと考えていたのだ。
オレは高校1年生の時、英語が全く出来なかった。正確には英語だけではなくて数学もできなかったし生物も苦手だった。かろうじて地理と漢文だけができた。英語の劣等生ぶりはすさまじくて、クラス最低点だったこともある。なぜそんなことになったのかというと全然予習しなかったからで、中学までの自分が全然予習なしで授業についていけたからとたかをくくっていたのである。教科書を2学期の半ばに終わってしまうような超ハイスピードの進学校の英語の授業についていくということの意味がわかってなかったのだ。
結局オレは一年間を劣等生のままで終えた。本好きのオレは図書館に入り浸って小説ばかり読み、さまざまな特権を享受すべく図書委員となっていたのだが、もちろんそれは他の図書委員の女の子がかわいかったことも不純な一つの理由であり、結果として図書館長だったS先生のお世話になることとなった。S先生はオレが全然英語ができないことを伝え聞いていたのか、なんと春休みに英語の補習をしてくださることとなった。やる気のある図書委員のメンバーを集めて、英文解釈の問題を毎日解かせるのである。劣等生の私にとって毎日かなりの予習をしないといけないのは大変なことだった。その補習はほとんど春休みの間中、ずっと続いた。
今思えばどうしてS先生はそこまで自分の休みをつぶして付き合ってくださったのだろうかと思う。ちなみにS先生は国語教師である。「ちゃんと予習して来ないと英語の授業を受けていても意味がない」そんな当たり前のことをオレはそこで知った。それ以降、オレは徹底的に予習するようになった。最初はたった50分のための予習に3時間も4時間も掛かった。一日の勉強時間は6時間くらいになった。夏が過ぎ、いつのまにかオレは、自分が劣等生じゃなくなってることに気が付いた。一年後のオレは胸を張って「京大を受験する」と言えるような成績になった。
京都大学に合格したオレは母校に報告の電話を入れた時、担任ではなくS先生を呼んでもらって「合格しました」と報告した。大学生になってからもオレは何度か母校を訪問してはS先生に会いに行った。そのたびにS先生は学校の食堂でオレに昼飯を食わせてくれたのである。どういう理由からかはわからないが、S先生はオレに「おまえは教師になどなるつもりはないと思うが、なるんだったら国語教師になれ。」と言ってくださった。日本史を専攻していたオレが、母校で国語の教育実習をしたのはそういう理由からである。もちろん指導してくださったのはS先生だった。
大阪府の教員採用試験を受け、合格したオレは大学卒業と同時にある府立高校の教壇に立つこととなった。そうしていつかは母校の教壇に立つ日を夢見ていたのだが、オレが教師になって10年目の秋、S先生は突然お亡くなりになった。ガンの手術をして入院した後、一度は教壇に復帰したのだが、それも束の間のことだったという。退院と聞いてオレは安心していたのだが、予想以上に悪かったのだった。
「やりたいことがあったらどんどんやらないと、いつのまにか老いさらばえて余命幾ばくもなくなってしまうんですよ」
オレにそう言ったS先生は、若い時にはどんな夢を持っていたのだろうか。オレはS先生が亡くなってからいくつもの長い文章を書いた。小説も書いた。しかしオレがこうして書くことの楽しみを知っているのは、あの劣等生時代にS先生に出会えたからではないのか。当時英語も数学も全然出来なかったオレが、中国の歴史オタクだったので漢文だけは完璧だったことにS先生はちゃんと気づいていたはずだ。だからこそS先生はオレに国語教師を薦めたのじゃないのか。
オレは自分が受けた数々の恩を少しも返せなかったことをとても残念に思っている。人生にはいろんな出会いがある。「もしもこの人に出会わなかったら今の自分は存在しない」という出会いがあるとしたら、それはオレにとってこのS先生との出会いである。春はいろんなことを思い出させてくれる。S先生、あなたはオレにとって最高の師でした。オレにこんなすばらしい職業を与えてくれてありがとうございました。あなたがどんなにすばらしい教師であったか、オレはずっと忘れません。
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