2006年03月08日(水) |
寒いのか暑いのかどっちなんじゃ? |
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こんな時期は一番困るのである。朝、クルマに乗り込んだときに表示されている温度計は1度をさしているからものすごく寒い。クルマに乗る時はコートは着ないので、スーツにネクタイ(ベストは着用)という軽装でその寒さの中で耐えないといけないのである。エンジンが暖まって、温風が吹き出す頃のは10分くらい走った後である。幸い通勤時間は40分以上あるので、残りの時間は快適に過ごすことができる。これがもしも近すぎる職場なら、毎朝ヒーターが効いてくる前に職場に着いてしまうという悲劇が誕生していたのである。
しかし、昨日の朝は全然寒くなかった。クルマの温度計は朝から10度になっている。どっひゃ〜である。このまま一気に春が来たのかと思わせるような陽気を期待したのだが、その日はかなり激しい雨が降ってそこから温度はほとんど上昇しなかった。そういうわけで気温の上下の揺れがかなり大きいのである。上下に10度も違うのなら着るものにも気を遣うことになる。
朝の寒さに耐えつつクルマを走らせるとき、オレは大学時代の友人を思い出す。彼は北海道の北見出身で、理学部に在学していたのだが寒さにはめっぽう強かった。冬の京都はかなり雪も降るし、粗末なアパートに住む学生が停電の夜にこたつでそのまま凍死していたというウワサが出ても「それはありそうだな」と誰もが思うほどの寒さだったのだ。ところが彼は薄手のブレザーだけで涼しい顔をしていた。「このくらいでコートなんか着たら本当に寒いときどうするんですか?」彼はいつもその薄手のブレザーだった。彼が本当に寒さに強かったのか、あるいは超ビンボーな苦学生でコートがないだけではなくて他に服を買う余裕も全然なかったのかどうかはわからない。
いつのまにかオレもその京都の寒さに鍛えられて徐々に寒さに強くなった・・・はずだった。確かに雪が積もる京都北山をガンガン走って楽しんでいたことは事実だ。京都の下宿を引き払って大阪の実家に帰ってきたとき、実家にあった自分の部屋は無くなっていた。あきらめて離れの倉庫を改造した部屋に荷物を入れたのだが、その部屋の強烈な寒さにも最初はちゃんと耐えていたのである。真冬の寒いときも凍える手を温めながらその部屋でインターネットをしていた。
でももうダメだ。室温2度の部屋で石油ファンヒーターをがんがん燃やすのだが、部屋が広すぎて(14畳)全然効かない。だが燃焼すれば二酸化炭素が出る。空気中の二酸化炭素が増えて頭が痛くなるくらいになって、それでも部屋はやっぱり寒かったのである。オレは家中でブロードバンドが利用できる高速通信環境になったのを機に自分の部屋から出て、リビングで「こたつにノートパソコン」というスタイルでパソコンを使うようになったのである。そうなるともうだめだ。あの寒い部屋には二度と戻れなくなってしまったのである。
暑いのが苦手ですぐにエアコンを入れてしまう自分は、寒さも苦手になってしまって、生存可能な温度が極端に狭くなってしまったのだ。下は5度くらいから上は30度くらいまでがオレの生存可能温度だ。たった25度の幅でしかオレは生きられない軟弱な肉体になってしまったのである。東京ではもう春一番が吹いたとか。春は確実にそこまでやってきているのだ。それなのに寒い朝があるとオレは思わず天を仰いで「いつまで寒いままなんじゃボケ!」と罵倒したくなる。その寒いままのボケ天気もやっと今から動き出すようだ。やっと暖かくなってくれそうなのである。朝起きやすくなるのはかなり嬉しいのである。
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