2006年01月24日(火) |
20年なら軽すぎる! |
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昨年5月、飲酒運転のRV車が信号無視を繰り返して暴走したあげくに横断歩道を渡っていたウォークラリー中の仙台育英高校生の列に突っ込み、3人が死亡、15人が負傷した事故を覚えているだろう。この事故で危険運転致死傷罪に問われた佐藤光被告(27歳)に対して仙台地裁は1月23日、求刑通り懲役20年を言い渡した。この20年というのは危険運転致死傷罪の法定刑の上限にあたり、この罪で起訴されたこれまでの無法者どもの中ではじめて科せられた最高刑である。
弁護側は「被告は泥酔状態ではなかった。事故時の居眠りは飲酒でなく、仕事による睡眠不足が原因」として、同罪は成立しないと主張していた。ではオレは言いたい。単なる居眠り運転で横断歩道を渡っていた若者たちをなぎ倒して大勢を死傷させたこの男にこの罪を成立させなかったら「業務上過失致死罪」で最高刑はなんと懲役5年しかないじゃないかと。その方がよほど理不尽だろう。この加害者の側に立てば、「死んででもお詫びしないと・・・」というところがたった5年で出られるような軽い罰になればそれこそ遺族が黙っていない。20年でも軽すぎるのだ。被害にあった人たちに賠償すらできていない(そんなこととても無理だが)そうじゃないか。
オレは人を殺したことに対する罰は基本が「死刑」でいいと思っている。死刑にしなくていいのはその行為に十分な情状酌量の余地がありしかも賠償が十分に行われていて、加害者に更正の余地がある場合に限ると。逆に言えばその条件にあてはまらないものは全部死刑にしてもいいということだ。「交通事故を起こしただけで死刑なんて・・・」と考えるかも知れないが、通常の運転行為の中で起きた事故は自賠責や任意保険でカバーされる。だから「賠償責任」は果たせるわけだ。それが果たせない場合というのは飲酒運転など本人に重大な過失責任がある場合で、あんな危険な物体を制御不能の状態で暴走させるのは人混みを刃物を振り回して歩くのと同じくらい危ない。覚醒剤で頭がおかしくなったヤツが刃物を振り回して無差別殺人しているのと同じである。そんなヤツを「心神耗弱で無罪だ」と誰もかばいたくないだろう。そのことを広く認識させるためにも、「殺人運転は死刑」というふうに決めるべきだ。
償えないような大きな罪を犯したら、そのときは死んでもらう(つまり命で償わせる)しかないということは「切腹」などの武士道の文化をかつて持っていた日本では十分に理解されるはずだ。ただこの場合の「死刑」ももっと前向きに「臓器移植の提供者にして他の人のために役立たせる」という方法も検討されるべきだろう。「そんなヤツの臓器なんかで助かりたくない」なんて贅沢を言う患者がいれば、言わない患者に回せばいい。オレなら自分の命が助かるのならこの際誰の臓器だって文句は言わない。人間一体分ならかなり多くの人が救えるはずである。これまで行われていなかった「手足の移植」なんてことも可能になるぜ。もっともサイズがピッタリと合う相手はなかなかいないと思われるが。
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