2006年01月08日(日) |
ジジイ、74年間何をしてきたんだ? |
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JR下関駅が放火によって焼失した。山陽本線、山陰本線はこの火事で当分の間不通となってしまったのである。ここを通過する寝台列車や貨物輸送、そして通勤のためにこの駅を利用していた人たちなどが大きな迷惑を被ったことになる。ジジイの放火が数十億円の経済的損失につながったわけで、もちろんこのジジイには賠償能力などないだろう。
オレは燃えさかる映像を見ながら、こんなに大きな建造物が、ライターで火をつけることで簡単に燃やされてしまうという事実に驚くと同時に、その容疑者とされた住所不定、無職福田九右衛門(74歳)を見て、「何も持たないということはこういうことなんだな」と改めて思った次第である。もちろん例外もあるだろう。しかし、犯罪を行う多くの人間には、それによって失ってしまう日常生活の中に価値がない。何も持たない人間だからこそその日常を捨てられるのである。
逆に言えば、家族がいて財産があって、守るべきものをたくさん持っている人は犯罪を起こさない。「恒産無き者に恒心無し」という故事成語があるが、ここでの「恒産」とは何もゼニのことだけとは限らない。自分を守ってくれる家族や友人、知人を含めての、それまでの人生の中で築いてきた人間関係すべてもまた「恒産」の一つなのだ。そうしたものを何一つ持たない人間が自暴自棄的な行動を起こすのは、もともと持っていないことゆえの開き直りなのである。
離婚率が上昇し、結婚しない男女が増え、いつまでもフリーターのままで正社員にならないから収入も少ないまま。この状況は社会全体から「恒産」がどんどん失われてることでもある。逆説的だが、馬鹿や貧乏人ほど怖い者がないということなのだ。だったらどうすればいいのか。馬鹿や貧乏人に無条件にゼニをばらまいてしまう。つまりみんなに恒産を持たせてしまえば勝手に恒心も育つのか?答えは否である。自分で稼いで築いた財産でない限りゼニというものは身に付かない。国のバラまき行政がちっとも効果を上げないのは、貰うことに慣れてしまった連中がちっとも自立しないからである。
日本のODAだってそうだ。一番必要なのはそれぞれの国が自立するために必要な人間を育てるための教育投資なのに、何も考えずにゼニをバラまくものだから貰う側の支配階級をいっそう腐敗させて、国家の自立をどんどん遅らせてしまう。
「むしゃくしゃしていたから火をつけた」というこのジジイがなぜむしゃくしゃしていたのか。それがパチンコで負けたからだとしたら、パチンコというあの違法行為の重大な罪ではないのか。そのような「貧乏人をますます貧乏にしてしまう仕組み」を放置した国家の側の罪ではないのか。何も分かっていない子供の火遊びではないのだ。74年間も生きてきたジジイが人生の最後に下した結論が「むしゃくしゃしたから火でもつけてやろう」であったことに対して我々はどう答えればいいんだ。74歳にもなって一定の住居も得られないような人間が存在することは、この国の社会福祉制度というものの持つ大きな欠陥ではないのか。
もちろんそうなってしまったのは本人の責任に負う部分が多いだろう。しかしオレは、そのジジイには家族がいたのか。いたのならどうして家族はそのジジイを捨てたのか。どうしてそんな結果になったのかということが気になってしまうのである。この世で一番大切な財産は家族だ。それは自分を愛してくれる配偶者であり、深い家族愛によって結ばれた親子である。ところがこの家族という絆はゼニの問題でいとも簡単に崩壊するのである。保険金を掛けて自分の夫や妻、時には子までも簡単に殺してしまうヤツがいるように、主客が逆転してしまっているのだ。今回の下関駅の放火事件、オレの父親とさほど年齢の変わらない74歳のジジイが人生の最後にこんなことをしでかしたわけだが、いったいここに至るまでの74年間はどんなものだったのか、オレはそのことをずっと考えてしまったのである。
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