2005年12月19日(月) |
キミは一澤帆布のかばんを知ってるか? |
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大学に入学して京都に住むようになった私は、友人が変な布製カバンを持っていることに気づいた。一澤帆布製と書かれた白布のロゴマークが貼ってある。シンプルで丈夫そうなそんなレトロなカバンだった。そのロゴマークにはその後日本のいろんなところで出会うことになり、多くのファンがいることをオレは後日知ったのだ。
分厚い帆布製の、昔なら大工さんの道具袋になったようなかばんは、いつのまにか修学旅行で京都を訪れる女子高生に人気を呼び、そこから全国に知られるようになったのはもう20年以上も前のことだ。ブームはやむどころか一向に衰えず、今では9時の開店と同時に店内はお客さんでいっぱいになるという大盛況である。
同じような帆布製のかばんが欲しいのなら、別に一澤帆布製にこだわらなくても東急ハンズで「犬印鞄」を買えばいい。しかし、東急ハンズは日本中にあるが、一澤帆布は京都にしかないのである。そこがこだわりを生むのである。すぐに売り切れてしまうことや、ここでしか買えないこと、通販では何ヶ月も待たされることからわざわざ買いに来てはヤフオクでは何倍もの価格で売るヤツさえいるのである。このあまりにもせこいヤツらがいることにオレはあきれて思わずフルタセコイヤチョコレートが食いたくなったくらいである。
実際のところ、わざわざ東京から朝イチ始発ののぞみで京都に行き、京都駅からタクシーをとばして店の前にやってくる熱心な客もいるのだ。(地下鉄で行く方が渋滞がない分確実だけど)店の場所も東山通り知恩院前という絶好の場所にある。お目当てのかばんをゲットしたらあとはのんびり平安神宮や知恩院、円山公園から八坂神社を散策できるというロケーションなのである。
そういうわけで大人気になった一澤帆布なんだが、とんだお家騒動が沸き起こったのである。一澤帆布の創業は1905年にさかのぼる。嘉永6年生まれの初代、一澤喜兵衛はあたらしいもん好きで、「古木(ふるぎ)洗濯」という屋号で西洋洗濯(クリーニング)を始めたり、「KYOTO BAND」という楽団を作り、無声映画や舞台の伴奏をやっていたという。その頃に当時高価だったミシンを買って、帆布製の袋を作り始めたのが始まりである。本格的に帆布袋を作ったのは本格的なシンガーの工業用ミシンを導入した二代目の常次郎からである。三代目の信夫が小学校時代に使ったかばんは、常次郎が作ったものだったという。牛乳屋さんの配達用かばんや酒屋さんが一升瓶を入れるかばんなどを工夫して作っていたのだ。戦時中は兵器のカバーや零戦の搭乗員用のバッグを作ったという。
そんな老舗の店が、三代目で会長職にあった信夫氏の死去(2001年3月)に伴って発生した保有株の相続で混乱が起きたのである。長男の信太郎、四男の喜久夫両氏は遺言により故信夫氏の持ち株を取得して発行株数の3分の2を握ったことにより臨時取締役会を開いて現社長の信三郎氏を解任、一方信三郎氏は既に製造部門の社員のほとんどを新たに設立した会社に移しているという。ゲスの勘ぐりで申し訳ないのだが、あまりにも人気が出て儲かるようになったので、その利益を巡って兄弟が醜い争いを繰り広げてるというのがオレの印象なのだ。もしかしたら百貨店にも卸して手広く売ろうという利益中心の考えと、今まで通りの手作り少量生産でブランドイメージを守ろうとする考えとの対立なのかと思ったりもする。そういうお家騒動をよそに連日知恩院前の一澤帆布は大盛況である。お家騒動の真相はいずれ週刊誌が詳しく書いてくれるだろう。野次馬のオレはそれが楽しみである。
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