2005年11月13日(日) |
おまえは卑怯者だ! |
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やっぱり同じ学校の、しかもストーカー的な野郎の犯行だったなとオレは報道から直感的に思った。それは見事に当たっていたわけだ。東京都町田市の都立高1年、古山優亜さんが全身を刺されて惨殺された事件で、殺人容疑で逮捕された同学年の少年は、小中学校と一緒だったのに高校に入ってから冷たくされたことを恨みに思っていたという。そんなこと当たり前じゃないか。
小中学生の頃ならどんなに仲良しでも「ただの幼なじみ」で済むんだ。たった一言話をしただけでも「あいつらデキてるんじゃねえか?」とウワサするのが高校生である。オレも実際そうだったのである。高校生の時、小中と同じ学校だった女の子と話をしてるだけですっかりカップル扱いされたのである。オレみたいな変なヤツの恋人だと誤解されてしまった女の子がどれほど傷ついたか、人の心の痛みをよく理解するオレにはわかる。優亜さんを殺した少年はそんなこともわかっていないいわゆる「空気の読めない馬鹿」だったのである。
片想いするならするのは勝手だ。しかし、そこまでに思い詰めたのなら、自分が片想いした相手を他の誰にも渡したくないほど好きだったのなら、その想いが叶わなかったら殺そうとまで思ったのなら、なぜその場で想いに殉じておまえも一緒に死ななかったんだ。それが純愛というものであり、片想いを貫くということではないのか。オレの言ってることははっきり言ってむちゃくちゃだ。しかし、こんな無意味な死に方では、殺された優亜さんも浮かばれないし、そしてそのお母さんも納得がいかないじゃないか。どうしておまえは最愛の相手を殺したあとも平然としていられたんだ。
それだけの蛮行を行っておきながら「自転車で転んだ」とウソをつき、制服をクリーニングに出して何食わぬ顔をして登校していたという。お前にとって、好きな女を殺してしまったということは日常の中の単なる些事だったのか。なぜ平然としていられるんだ。相手が死んでも平気でいられる程度の浅い愛情しかないくせになぜ殺したんだ。塚本邦雄にはこんな短歌がある。
馬を洗はば馬のたましい冴ゆるまで人恋はば人あやむるこころ
殺されて満足な人間など一人もいやしない。たとえ理不尽な最期ではあっても、もしもおまえがこの歌のように優亜さんを愛していたのならまだ少しは浮かばれるかも知れない。しかしその行動からはそんなことはカケラも見えやしない。ただ「殺したとバレたくない」だけのヘタレだ。少年法のおかげでこれだけ大きな事件を起こしてもおまえは死刑になどならない。しかし、おまえの家族には大きな債務がのしかかる。人を殺した償いを実際にするのは、おまえのようなヘタレではなくて、おまえの家族なんだ。家を売ってでも賠償金を払うことになるのだ。そして、人殺しの家族という不名誉がずっとついてまわるのだ。
東野圭吾の小説「手紙」をどうせおまえは読んだことないだろうが、殺人によって奪われるのは被害者の人生だけではなく、加害者であるおまえの家族の人生もまた奪われるのだということを忘れるな。おっと、そんなこともわからない馬鹿だから人を殺したんだが。たった一人の娘を奪われた母親の悲しみをおまえは理解できるのか。おまえの狂気から30分近く必死で逃げ回った優亜さんの死にたくないという気持ちをおまえはどうして踏みにじったんだ。こんなヤツには更正なんか考える必要ない。死刑あるのみだ。仇討ちが許されない現代だが、娘の無念さをお母さんの手で晴らせてあげたいとオレは思ってしまう。
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