2005年11月06日(日) |
馬のクソはでかいんだぜ! |
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オレがまだ小学生の頃、家の近くの道を馬に乗って散歩する人がいた。馬はかなり大きく、その馬の巨体同様に馬糞もデカかった。前をよく見ないで走っていて、その馬糞にモロに運動靴を突っ込んでしまうという悲劇も何度か経験した。当時は犬を散歩させてる人で糞の始末をしている人などいなかった。馬糞も犬糞もやがて乾燥してそこらにまき散らされる迷惑な存在だったのである。その糞混じりの空気をオレは吸っていたのである。いや、オレだけではなくてみんなが吸っていたのである。
道が舗装されていない場合はもちろん糞は道路の土に同化していった。我が家の前の道路がやっと舗装されたのは小学3年生の頃だったと思う。それから長いこと日常生活の中で馬と遭遇することはなかったが、大学にはいると馬術部の馬が大学構内を闊歩してた。当然のことながら北部キャンパスと呼ばれる農学部、理学部のあるエリアには無数の馬糞が落下していたのである。あの糞はいったい誰が片づけていたのだろうか。少なくともオレの頭の中では馬=馬糞である。
盛岡市で80年ぶりに乗合馬車を復活させようという試みが11月5日から始まった。岩手県はかつて農耕馬の産地で、馬とともに暮らす「南部曲がり家」という住宅形式で知られる。この馬車は今後も数回の実験を重ねて2年後の「定期運行」を目指しているとか。この日は 午前10時半に盛岡八幡宮を出発し、市中心部を流れる中津川や盛岡城跡周辺、旧門前町付近などを巡る約3キロを人の歩くほどの速度で進んだという。馬の魅力で、観光客を呼び込もうと市民グループが乗合馬車を発案し、県が運営費として約80万円を補助。市も交通整理などに職員が参加した。
時速3キロと言えば歩くよりも遅いのである。そんな乗り物になんの価値があるだろうか。乗合馬車で通勤しようなんて酔狂な人は誰も居ないだろう。しかも馬はそこら中に馬糞を落とす。その掃除は誰がするのか。後ろから走ってきた車はその馬糞を思いがけなくもタイヤで踏んづけることになるのだ。馬のしょんべんはもっと危険だ。通行人がその直撃を浴びたらどうするのか。乗合馬車から乗合バスに変わったのはその方がはるかに便利で効率的だからである。この馬糞問題はやがて近隣住民の馬車反対運動につながっていくだろう。単なるノスタルジーだけで「馬車がいい」なんて言って欲しくないのである。どうしても馬車に拘るのなら、糞もしないししょんべんもしない機械仕掛けの馬を作って、そいつに馬車を引かせればいいのである。話題を呼ぶことは確実だ。SONYあたりが開発すればいいのである。
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