2005年10月06日(木) |
ぼくのお母さんはどこにいるのですか? |
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国籍も本名も年齢もわからない5歳くらいの男の子が栃木県の県南児童相談所に保護されていて、日本語で名前を聞くと、「ぽん」と答えるという。身長約1メートル、所持品はなく「いくつ?」には片手を広げてみせた。しかし、「どこから来た?」には「あっち」。両親の名前も「パパ、ママ」としか話さなかった。日本語はほとんど話さず、タイ語の質問を少し理解したが、身元がわかるような答えは返ってこない。タイ人らしいということしかわからない。
この男の子は4月中旬に小山市内の60歳代の男性から「子どもを預けられて困っている」という連絡があって児相の職員が保護したのである。この60歳代男性は3月中旬に建設現場でタイ人と思われる男性から「少しだけ見ておいてくれ」と頼まれてこの子を預かったのだが、そのタイ人男性はそのまま二度と戻ってこなかった。自分に縁もゆかりもない子供を押しつけられ、困ったこの60歳代男性は児童相談所に保護を求めたのだ。
この子には国籍がない。もしかしたら生まれた時にどこかで出生届が出されていて、ちゃんとした名前が存在するのかも知れないが、両親が蒸発している現状ではそれを知る術はない。児童相談所はわざわざタイ大使館に国籍取得を打診しみてたが「タイ人と断定できる証拠がなく、国籍は与えられない」と正式に断られた。大使館の担当者は「タイ語はミャンマー人でもベトナム人でも話す人がいる。証拠にならない」と話したという。
親が不明でも日本で生まれていれば日本国籍が取れる。しかし、出生地がはっきりしないケースでは国籍法は適用できない。法務省が状況から日本人の子と判断すれば首長が職権で戸籍をつくって日本人になれる。ところが小山市では「外国人の可能性が高い」と否定的だ。国籍を持たないままであっても、18歳までは児童福祉法による保護措置を継続でき、生活することは可能である。しかし、それを過ぎれば後は無国籍という状態で世間の荒波の中に放り出されてしまうのである。
両親の愛情に包まれて育つという当たり前の幸福を知らないで育ったこの子供が、法律の不備によって国籍も与えられないまま成人することを思うと、法というのはいかに杓子定規なものであるのかと思う。5歳になるまで、この子はどんな毎日を過ごして来たのだろうか。ぽんちゃん、きみのお父さんお母さんはいったいどこにいるのだろう。いつかきっときみを迎えに来てくれるのだとオレは信じていたい。そうでないとあまりにも悲しすぎるじゃないか。
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