2005年09月07日(水) |
児玉有平君はなぜ死んだのか? |
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1993年3月、山形県新庄市立明倫中学校で1年生の児玉有平くんが巻いて立てかけた体操用マットの中から頭を下にした遺体で見つかった。彼に対するいじめが日常的に行われていたことがわかり、事件に関与したとして当時12〜14歳の中学1、2年生7人が傷害と監禁致死の疑いで逮捕・補導された。7人のうち事件への関与を認めた3人は山形家裁で保護処分を受け、2名は初等少年院、1名は教護院に送致された。関与を認めなかった4人のうち3人は不処分、1人は児童相談所で行政処分を受けた。
さて、この7人はその後「自分たちはやっていない」と無実を訴え、関与を認めて保護処分を受けた3名も処分の取り消しを求めて抗告したが棄却されている。しかし、殺された有平くんの両親が損害賠償を求めて起こした民事訴訟では刑事裁判とは違った事実認定が行われ、「当時はマットの中に自分からはいる遊びが流行っていた」「有平くんは自分から入って死んだ」「自白は警察の取り調べで強要されたものである」「自分たちにはちゃんとアリバイがあった」と主張し、2002年3月19日、山形地裁はその賠償請求を棄却し、まるで7人の少年の無罪を認定するかのような判決を下したのである。
もちろん有平くんの両親はこの判決に承服できず控訴した。仙台高裁は賠償請求を認める逆転判決を下し、今度は加害者とされた少年の側が最高裁に上告していたのである。9月6日、最高裁第三小法廷(上田豊三裁判長)は加害者とされた元生徒側の上告を棄却し、7人全員の事件への関与を認めて総額5759万円の損害賠償を命じ、遺族側を逆転勝訴させた二審・仙台高裁判決が確定した。事件から12年かかってやっと揺れ続けた司法判断に幕が引かれたのである。
この問題の真実がどこにあるのかオレにはわからない。ただ、事件が起きた直後の警察の初動段階の捜査に重大な手落ちがあったと思わざるを得ない。事件に関与したとされる少年たちの証言の中には真実もあればウソもあっただろう。その矛盾を推理することから真実に近づこうとする努力をしないままに、自白という物語で事件の全貌を語らせようとしたところに致命的な失敗があったのではないか。裁判はこうして決着したが、死んだ有平くんの命が戻るわけでもない。少年たちは殺したのに「やってない」と主張してるのか。本当にやってないから「やってない」と主張してるのか。ではなぜ有平くんは死んだのか。少なくとも彼に対するいじめが存在したということだけは事実である。
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