2005年08月02日(火) |
永岡議員、あなたはなぜ死んだのですか? |
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8月1日午前10時5分ごろ、自民党の永岡洋治衆院議員(54歳・茨城7区当選2回)が、東京都世田谷区の自宅で階段の手すりにネクタイを結んで首をつっているのを家族が発見して119番通報した。すぐに病院に搬送されたが約2時間後に死亡が確認された。遺書は見つかっていないという。7月30・31日には地元の行事に出席して31日の夜には自宅に戻っていたはずなので、その後に自殺したことになる。
永岡議員は1995年に農林水産省を退官して何度か選挙に出馬するもなかなか当選できず、2003年4月の衆院統一補選でやっと初当選し、現在2期目だった。わずか2年あまりで彼はなぜ自分の夢を断念して死を選ばなければならなかったのか?オレにはどうしてもわからないのである。
永岡議員は自民党内では亀井派に所属しており、郵政民営化法案が衆院で5票差で可決された際は派閥の領袖に逆らって賛成に回った。彼を「裏切り者」と罵る一部の議員もいたという。「法案に反対したら、次の選挙で応援しない」採決前に自民党執行部からはこんな締めつけがあったという。採決後のマスコミ各社の取材には「法案に賛成ではないが、党議拘束されているので白票を投じた」と語った。周辺に「非常につらい」と漏らしていたという。
板挟みの末に裏切り者になってしまった自責の念が彼に死を選ばせたのだろうか。小泉首相の一存から始まった郵政民営化というドタバタ劇はついに死人まで出してしまったのである。
亀井静香元政調会長は、「あってはいけないことが起こった」と、沈痛な面持ちで語ったという。どうして「あってはいけないこと」なのか。派閥のボスを裏切ることが「あってはいけないこと」なのか。それとも、まるで自分への面当てのように自殺されることが「あってはいけないこと」なのか。オレはあれこれと邪推してしまうのである。そして思い至るところはいつも同じだ。「なんで死んだのか」と。あんたの派閥のボスは、見かけによらず「死刑廃止論」主張する人道主義者のはずだ。どんなに手ひどく裏切っても、「死ね」なんてことは思わない立派なお方なんだ。だから安心して裏切ればよかったんだ。そんなこと、気に病む必要はなかったんだ。
この世で命をもって償わないといけない大罪は、人を殺した罪と公務員の汚職だけだ。派閥のボスを裏切るとか、自分に投票してくれた有権者の期待を裏切るくらいならたいしたことじゃない。それだったら日本の国会議員はほとんど全員死ななければならなくなるじゃないか。その程度のことで死のうと思うなんて間違ってる。たった2年で彼が見たのは、自分が夢見ていた議員の理想とはかけ離れた現実のどろどろした姿だったのだろうか。遺書を残さず死んだところに、彼の無念さをオレはより強く感じてしまうのである。
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