2005年05月28日(土) |
石原知事、わたしの人生を返してください |
携帯用URL
| |
|
病院で赤ちゃんの取り違えというのは本当に起きるのだろうか。そして、それが判明したときにすでに長い年月が経過してしまっていた場合、どうやってもとに戻せばいいのだろうか。
福岡市に住むある男性は46歳になった春に両親との血のつながりがないことがわかった。血液型が合わなかっただけではなく、DNA鑑定した結果もはっきりと親子関係を否定するものだったのだ。彼は自分が生まれた東京都立墨田病院で他の赤ちゃんと間違えられたとして東京都に3億円の損害賠償を求めた。
その訴訟の判決が5月27日に東京地裁であった。水野有子裁判官は取り違えを認定したが、賠償の請求に対しては「不法行為から20年以上が経過してるため請求権が消滅した」として棄却したのである。
なんともやりきれない話である。賠償請求の金額などどうでもいい。日本のどこかに存在するはずの本当の両親にとにかく会いたい。それが叶えられることこそがこの男性の切望することではないのか。もしも自分がこの男性の立場ならどれほど絶望感を味わうだろうか。決して「育ての親はいい人たちだったから、まあいいか」では済まされないのである。失われたのは本当の両親と過ごすはずの46年の人生すべてなのだ。そして、同じ状況にありながらまだ気が付いていない、自分の身代わりとして育った男性がどこかに存在するのだ。
しかし、これを調査すれば、もう一人の悲劇も明るみに出ることになる。両親と血がつながっていないことを知らずに、本当の両親と思ってこれまで過ごしてきたもう一人の誰かが、その事実を知ったことで大きなショックを受けることになるだろう。もしもその誰かの家が貧しい家庭なら「なぜ私はこんな家で育てられたのか」と不満に思うだろうし、もちろんその逆もありうるのだが。その家庭が幸福な家庭ならまだいい。不幸のどん底であった時にどんな事態が発生するだろうか。
もしも血液型やDNA鑑定というものが存在しなかったとしたら、この男性は両親をまぎれもなく自分の両親であると信じてその人生を終えていただろう。知らなかった方が幸福なことはこの世にいくらでもある。確かに「民法上の請求権」は失われている。しかし、その事実に気が付いたのは46年経ってからなのだ。実の親が奪われたという事実を知ったのがついこの間のことなのだ。なぜそんな杓子定規の判決しか出せないのか。
東京都は全力でこの問題を調査・解明し、実の親との対面を叶えてやるべきである。それは必然的にもう一つの悲劇を生むことになってしまうのだが。それでも「実の親に会いたい」というこの男性の希望を叶えることが、3億円のゼニを払うことよりもはるかに意義のあることである。「済んでしまったことは仕方がない」では済ませられないのである。
前の日記 後の日記