2005年02月15日(火) |
包丁少年、バレンタインデーの惨劇 |
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2月14日、寝屋川市立中央小学校に17歳の無職少年(精神科通院中)が刺身包丁持参でやってきた。少年は校内に侵入すると職員室の場所を訊ね、案内した鴨崎満明さんを背中から刺し殺した。包丁野郎による小学校襲撃事件がまた発生してしまったのである。
この手の事件が起きるたびに学校の安全管理や監視体制がやり玉に挙げられるが、いつもいつもそんなガイキチのために備えてなんかいられないのである。ずっと監視カメラを見続けるのは面倒くさい。悪いのはその刃物少年だけであり、他の誰一人として悪くないのだ。その危険なヤツを死刑にしたらそれで済むことだし、その死刑も全国民の前にさらし者にして、全裸にして蟻に喰わせるとか、須磨水族館でピラニアの餌にするという残虐な方法で見せしめにしてもらいたい。
警察では「動機を調べてる」ということだが、そんな動機なんか知っていったいどうなるんだ?殺人事件を肯定できるような動機など、この世に存在するわけがないだろう。すべての行動に意味があるわけじゃない。意味のない行動をするバカもこの世には大勢いて、その一人がこの少年なのである。
通報に警官が駆けつけた時、少年は2階の職員室で血のついた刺し身包丁を左手に持って立ち、悠然とタバコを吸っていた。「刃物を捨てろ」との呼びかけに応じて包丁を手放した直後、署員に取り押さえられ、大阪府警は現場で刃渡り21・5センチの刺し身包丁を押収した。どうせなら警官に刃物で襲いかかってその場で射殺されればよかったんだ。もしもオレがその場に踏み込んだ警官なら、即座に射殺してから「向かってきたので撃った」と白々しく答えるよ。仮にそいつを撃ち殺したところで、非難するバカはどうせ社民党の福島瑞穂党首くらいしかいない。殺すことこそが正義だからだ。
生命は尊いという。だから死刑という形で法律が人の命を奪うべきではないと主張する人がいる。しかし、尊重されるべきはまともな人間の生命なのであり、理不尽な形で他人の命を奪うこんな外道の命は何よりも軽い。鼻をかんだ後のティッシュを丸めて捨てるように、こんな外道は人間社会から削除してくれ。あの佐賀バスジャック事件のネオ麦茶は、アメリカであんな事件を起こせば即座に射殺されていただろう。
凶悪事件が増加する一方の日本で市民の安全を取り戻し、秩序を守るためには、「極悪人は警官が事件現場で殺してよい」という新たな合意を形成することである。処刑人に選ばれた警官には「マーダーライセンス」を与え、襟には殺した凶悪犯の数だけの撃墜バッジが燦然と輝くというのはどうだ。そしてお茶の間のヒーローとしてテレビにも出てもらえばいいのだ。
「ぼく、処刑人の羽矢撃夫(はやうつお)です。みなさんよろしく」
子ども達があこがれるホンモノの正義のヒーローになれるぜ。
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