2004年12月04日(土) |
コドモの真実とオトナの偽善 |
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子どもの世界では、パパやママも兄弟姉妹もペットの犬や猫も、お気に入りのプーさんのぬいぐるみも、みんな自分と同じように命がある存在だ。だから必死で守ろうとする。そこにはオトナが持つ偽善はひとかけらもない。ただただ自分にとって大切なものを守りたいだけなんだ。家が火に包まれた時、ペットをあきらめるのがオトナの分別だ。しかし、幼な子にとっては家族同然だった仲間を救い出すために飛び込んだことはむしろ当然の行為だった。それがたとえどんなに危険な行為であっても、逃げ遅れた家族を助けたいその一心で幼な子は燃えさかる二階へ戻ったのに違いない。
12月2日午前5時55分ごろ、愛媛県松前町浜、パート店員寺田宏美さん(28歳)方から出た炎はたちまち木造2階建て約140平方メートルを焼き尽くした。東隣の民家の一部も延焼し、南と北隣の民家2軒の一部も焼けた。2階部分の焼け跡から、寺田さんの二男で保育園児の龍君(6歳)が遺体で見つかった。飼われていた三匹の飼い犬は、一匹は無事だったが一匹は遺体で発見され、一匹は行方不明となっている。龍君は火災に気付きいったん外に逃げたが、部屋に残された飼い犬を助けようと自宅に戻り、逃げ遅れたとみられている。火事の原因は2階のストーブから火が上がってカーテンに燃え移ったとことらしい。
この世でもっとも崇高な行為は、誰かを助けるために自分の命を使うことである。オトナがとっくに忘れてしまったその行為の意味を子どもがこうして教えてくれる。それに引き換えオトナのやってる行為はどうか。
1969年、国鉄(現JR)可部線(広島県)の安野駅でネコ好きの駅長が駅でネコを飼い始めた。2002年ごろにはネコが改札脇にちょこんと愛らしく座る姿がテレビ放送されたことなどから「猫の駅」として人気を集めてきた。しかし、2003年に一部廃線となって利用客がなくなってからは今度は逆に駅が猫捨て場のような状態になり、捨てられた猫が大量に住み着き、周囲がフンの匂いに悩まされ、近隣の民家に侵入して食べ物をあさる猫もいた。町がこの駅を集会所に変える工事を実施するに伴って地元町内会は住み着いた猫の殺処分を決めたという。猫好きの住民やボランティアが飼い主を募集しているがまだ約10匹が残ってる。
殺処分はあまりにも無慈悲な解決方法だ。しかし、そこに飼い猫を捨てたオトナたちは責任を問われることもなくどこかでまたペットショップのお客となってるのかも知れない。彼らにとってペットとは家族ではなくてただの新しいオモチャでしかない。
そんな醜いオトナになる前に愛犬と一緒に旅立った龍くんは、もしかしたら今頃天国で仲良く遊んでいるかも知れないなぁ。もう離ればなれになることはないよ。いつでも一緒、ずっと一緒だよ。これからは永遠に。
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