2004年11月06日(土) |
ツキのなかったツキノワグマ |
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ツキノワグマといえば胸の所に月の形の白い模様があるからツキノワグマと呼ばれるのである。ところが山口県周南市で、全くツキのない哀れなツキノワグマがいたのである。その不運というのは、土中に設置してある生ゴミコンポストの、直径35センチしかない投入口から転落して脱出できなくなったことだった。
近所の76歳の女性が残飯を捨てに来て、中で動いてる黒いカタマリを発見しあわててフタを閉じて逃げた。連絡を受けて山口県自然保護課の職員が確認したところ、クマはペースト状になった生ゴミに浮いた状態でかなり衰弱していた。右耳には標識が着いていて、調査のために数年前に捕獲されたクマだった。
地元住民の話では、クマが夜間に生ゴミを荒らしたり栗の木に登ったりして民家周辺に出没していたという。狭い入り口から救出するのが困難なため、このクマは結局薬殺処分されてしまった。なんとも気の毒で可哀想な話である。もっとも被害を受けている地元住民からすれば当然の帰結だったのかも知れないが。
地震で大きな被害を受けた山古志村では、ウシの救出作戦が行われている。ヘリをチャーターしてウシの入った檻を空中に吊して脱出させているのである。一頭あたりいったいどれほどかかるのだろうか。その費用はどこが払うのだろう。生産者が負担すれば肉の値段に跳ね返ることになる。それでは災害対策費から出ているのだろうか。ウシは有用だから救出され、クマは害獣だから殺されるということなのだろうか。
氷の中に閉じこめられたクジラを、億単位の費用をかけて救出するドキュメンタリー番組を見たことがある。たかが野生動物のためになんて無駄なゼニを使うんだとオレは正直言って腹が立った。そんなことにゼニを使うくらいなら、実際に困ってる人々が世界にはいくらでもいるのだからちゃんと人間のために使うべきじゃないのか。ウシは有用な家畜だから救われ、クジラは矛盾した動物愛護の精神を喧伝するために救われ、クマは害獣だから見殺しにされる。なんて理不尽なことなんだ。なぜ生命の価値にそうして軽重をつけるのか。
イラク戦争の巻き添えになって多くの市民が殺された。イラクの市民の生命などアメリカの石油利権と比べれば何の意味も持たない。見殺しにされたクマと同じ「無価値」なものである。この世に無価値な生などない。ブッシュ、おまえの説く間違った正義はのためにどれほど多くの血が流されたことか。おまえの命に果たしてこの哀れなクマ以上の価値があるのか?
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