2004年09月05日(日) |
どうか子どもだけは殺さないでください |
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特殊部隊が突入した北オセチア共和国の学校人質事件は9月4日までに判明した死者が322人に達し、約半数の155人が子供だと発表された。
「怖いひげ面のヤツが、騒いだ子供たちをボクの目の前で撃ち殺した」
人質となったゲオル・ムルタゾフ君(7歳)は、3日に救出された後、なお恐怖におののきつつ犯人たちの凶行を証言した。「学校の中の壁にたくさんの爆弾をつるし、ボクたちに大きな声でしゃべったり、騒いだりするな、と命令した」「大きな声で騒ぐ子はすぐに撃ち殺されたんだ」。「上級生だったの?」「ううん、ヤツらは大きな子も小さな子も撃った。こんなに小さな子まで撃った」と、手で自分の胸くらいの背丈を示したという。
監禁された体育館は蒸し風呂のように暑かった。水も食料も与えられなかった。息子とともに人質となった主婦、アラ・ガジエワさん(24歳)は「(生き延びるため)尿を飲み、いやがる息子の頬を叩いて飲ませようとしたが、息子は歯を食いしばって拒みました」「花を奪い合うように食べ、最後は、人質同士、(乾きをいやすために)互いの尿を分かち合うことすら、惜しむようになりました」と語った。
チェチェン独立運動そのものには大義はあるかも知れない。しかし、小さい子どもまでも無差別にまで殺すこのテロのどこにも正義など存在しない。テロ実行犯の中にはアルカイダのメンバーらしい者達も含まれるという。
その同じ日、大阪府枚方市のマンションでは、7歳と3歳の姉妹が母親にネクタイで絞殺され、その母親は遺書を残して飛び降り自殺するという事件があった。母親の首には、ためらい傷とみられる浅い切り傷があり、同じ部屋には血の付いた包丁とタオルもあった。仲の良い姉妹で、小1の姉は放課後に妹の通う保育園に来て、母親がクルマで迎えに来る午後6〜7時くらいまで待っていたという。無欠席で夏休みの宿題もちゃんと出した少女の人生は、突如無惨にも断ち切られてしまったのだ。いったいどんな事情があって子どもまで殺さないといけないのか。
大人が自殺するのはある意味仕方がない。他の人には理解できないよんどころない事情があってそうするしかないからその選択をするのだろう。でも子どもはどうか道連れにしないで欲しい。親を失うのは確かに悲劇には違いない。しかし、まだ人生の大半を残したまま突如生を断ち切られる悲劇に比べれば、そんなことは些末な出来事にすぎない。親はほっといてもいずれ必ず寿命がきて死ぬ。
まだまだ生きられる生を、それも理不尽な暴力で奪われることがどれほどの悲劇か。夢や可能性を永遠に奪われることがどれほど痛ましいものであるか。子どもを殺す大人たちは、そんな大事なことをちっともわかっていない。
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