2004年08月14日(土) |
女を差別してどこが悪い! |
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オレは「ジェンダーフリー」という言葉が嫌いである。この信奉者の中には単純な生物上の区別や「男らしさ」「女らしさ」といった観念まで否定する極端な解釈をする奴らもいる。「ひな祭り(桃の節句)や端午の節句は男女差別につながる」という主張さえ存在する。一方は祝日なのにもう一方が平日なのは女性を差別しているというのだ。だが、オレに言わせれば両者は全く別の生き物で、男女を平等に考えること自体がそもそも間違いである。
あの汗臭くて汚い「オッサン」という存在と、観ているだけで幸福感に満たされる「美少女」が同じ生き物のはずがない。いくら形に共通点があってもウニと栗とでは全く別物であるように、オッサンと美少女は断じて別の種だ。(ちなみにオレの頭の中では喫煙女性はオッサンの亜種に分類される)
だから働かずに女の稼ぎに依存する男が「主夫」とはなかなか呼んでもらえず、ヒモと呼ばれて最低の存在として蔑まれるのに、家事や子育てに専念して家庭を守る女性の名称である専業主婦にはなんの差別的なニュアンスも存在しないのである。もしも同じ種類の生き物とする(つまりジェンダーフリーという発想に立つ)ならば、両者を同じように蔑視しなければならなくなる。それは絶対に間違ってるのである。
東京都内の一部の学校では男女を一緒にして五十音順に並べる「男女混合名簿」の導入を推進しているという。これは弁当箱の中でおにぎりと泥団子を混ぜて並べるような愚行である。おにぎり、いや女性はそのような扱いを断じて許してはならない。「私たちはあんな汚れたものと一緒にされたくありません」となぜ反対しないんだ。
オレが大学生だった20年以上前は、「女には学問はいらない」などという間違った思想が押しつけられていた。その結果。優秀な女性でもあまり勉強させてもらえず、おかげで偏差値が高いとされる大学にはオッサンばかり集まり、オレの所属した学部は文学部なのに7割が男だった。「女子が多い」という不純な動機で文学部を選んだオレにとって、泥団子に囲まれたキャンパスライフは全く予想外の悲劇だったぜ。
男女平等思想などもってのほかである。男をきちっと差別すること、泥団子のくせに畏れ多くも電車の中で女性の身体に触れようとする汚らわしい男どもに厳罰を与えて身の程を知らせることは文明社会の大切なルールである。おっと、題名は「女を差別する」だったのに書いてると全く逆の中味になっちまったぜ。こういう時にうっかりオレの本音が出てしまうんだなあ。
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