2004年08月12日(木) |
結婚披露宴は人肉パーティー |
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フィリピン南西部パラワンで7月17日、結婚式の最中に新婦の尻が触られたことに対して新婦の父親ら4人が怒り、触ったとされた親類の男性を殺害、その肉を焼いて食べたうえ披露宴に来ていたほかの客にも食べさせるという事件があり、地元警察が8月11日までに4人を逮捕した。この陰惨な事件は容疑者のうちの2人が警察に語って明るみに出たという。
痴漢扱いされて殺された男性は、新婦の尻に「誤って」手を触れたわけだが、それに怒った新婦の父親らが、人気のないところへ車で連れて行き刺し殺したという。遺体はココナツの葉で焼いて丸焼きにされた。父親はほかの仲間にナイフを突きつけ食べるよう強要。さらに披露宴に戻ってまだ残っていた客にも焼いた人肉を出したという。酔っぱらっていい気持ちになっていた客には何の肉かわからなかっただろう。そもそも自分の喰った肉が何の肉かわかるのは過去に食べて味を知っているからであり、人肉など誰も食べたことがないはずだから、みんなよくわからないままに喰ってしまったのである。
人肉食で日本一有名な人といえばやはり佐川一政だろう。1981年6月、彼はパリ留学中に知り合った白人女性を殺し、その肉を食べてしまう。逮捕された後、警察官が部屋に踏み込むと冷蔵庫にはまだ大量の肉が保存されていた。彼は父の雇った「フランスでもっとも高名で、かつ金のかかる弁護士」と呼ばれたフィリップ・ルメールの働きにより心神耗弱を認められ、無罪となった。精神病院には無期限の入院とされたが、14ヵ月後、国外追放同然のかたちで退院となり、帰国後、都立松沢病院へ入院。しかしこの病院もほぼ一年後の1985年8月に退院し、以後は精神治療を受けた形跡はない。
帰国後佐川一政は事件の詳細についての小説『霧の中』を書き、また唐十郎との書簡集である『佐川くんからの手紙』は、唐に芥川賞をもたらした。
さて、最初の事件に戻るのだが、目の前のモノが人肉とわかって喰った人間が有罪であることはわかる。しかし、騙されて人肉を喰わされた側というのは単なる被害者だから罪には問えないだろう。逆に、自分に人肉食という極めて不快な行為をさせたという理由で喰わせた人間を訴えることも考えられる。明治時代だったか、冬の知床半島で遭難して、死んだ仲間の肉を食って生還した船長は確か有罪だったと思う。その事件は武田泰淳の小説「ひかりごけ」に取り上げられている。
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