2004年07月05日(月) |
おまえに更正ということばはあり得ない |
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1988年に東京都足立区で当時17歳の女子高校生が長期間に渡って監禁、暴行され最後には衰弱死した後コンクリート詰めにして遺棄された事件を覚えてるだろうか。あれから16年、その凄惨な犯行を行った連中も一部は刑期を終えて出てきていたのである。しかし、人間の本質は長期間の刑務所暮らしでは少しも変わらなかったようで、またしてもこの男はお得意の監禁・暴行事件を起こしていたのだ。
殺人を犯すような人間はすべて死刑にしてくれとオレは願う。死刑にしないのならせめて終身刑だ。殺人という形で誰かの人生の可能性を永遠に奪った人間には、同じように人生のあらゆる希望が奪われるという形の罰を与えるべきである。オレは更正なんてことを信じていないからだ。外道はやはり外道であり、外道には反省など存在しない。反省できるような人間ならばはじめからそんな事件を起こすわけがない。
16年の歳月を経てその犯人グループの一人であった神作譲は埼玉県八潮市に住み、コンピューター関係会社のアルバイトをしていた。5月19日午前2時ごろ、足立区花畑の路上で、同区内の知人男性(27歳)に因縁を付け、顔などを繰り返し殴って、金属バットなどで脅して車のトランクに押し込み約40分間走り回った後、埼玉県三郷市のスナック店内に約4時間にわたり監禁。「おれの女を知っているんだろう」「俺は以前に人を殺した事があるんだ」「一人殺そうが二人殺そうが同じだ。どう言えば刑が減刑されるか熟知しているんだ。」などと言い、顔や足を殴るなどの暴行を加え、10日間のけがを負わせたという。
女子高生コンクリ詰め事件の犯人グループ4人に課せられた刑罰は最長で懲役20年(主犯格の18歳少年)だった。親が家を売って作った5000万が賠償に充てられたために死刑が求刑されなかったとも伝えられる。犯した行為の残虐さを思えば犯行に加わった少年達全員を死刑にすること以外の罰はあり得なかったとオレは思うのだが、とてつもなく軽い日本の刑罰に守られた彼らは結局死刑になることもなく、時が経てば全員が塀の外に出てこられるわけである。そんな外道がこの世に存在するというだけで市民にとっては大いなる恐怖である。連中に更正などありえないということは、神作譲が今回起こした事件からも明らかである。
出所してきた連中が人を殺したり傷つけたりした時、その責任はきっちりと死刑にしてくれなかった裁判官にあるとオレは確信する。自己の快楽のために人を殺すような外道に死刑以外の判決を下す馬鹿裁判官には責任を取らせる制度を作ってくれ。なんの責任も問われないから無責任な馬鹿判決が出るのである。そうなるとみんな争うように死刑判決を乱発するだろう。
更正なんてことを一番信じていないのは実は裁判官である。
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