2004年06月21日(月) |
明治大学はじまって以来の馬鹿 |
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酔っぱらいというのはむちゃをするものである。道頓堀にカーネルサンダースの人形を投げ込んだり、駐車してあるクルマに卑猥なことばを書いたり、見知らぬ女性の胸を突然わしづかみにしたりするのだ。しかし、そうした問題行動が100%酒のせいかというとそうではなく、もともと馬鹿だったのが酒のせいで100倍くらい馬鹿が増幅されてそうした行動をするのである。酒を飲んだからむちゃをするのではなく、馬鹿のくせに飲むからそのようなことになるのだ。
その点オレのようなまっとうな人間はたとえ泥酔しても決して人に迷惑をかけないものである。オレの場合、激しく酔ったら政治家や歴史上の人物の罵倒を始めるそうである。そういうのは全く人畜無害だ。
明治大学の水泳部員2人が6月4日午前4時10分ごろ、川崎市の小田急線の線路上に約800メートルにわたり砕石(直径約五センチ)を約五百個置き、さらに、線路近くの市立小学校のプールに砕石二百個以上をほうり込み、校舎の窓に投石してガラス数枚を破砕、目撃者の通報で駆けつけた警察官に現行犯逮捕された。置き石とプールへの投石とガラスの破壊、この3つの犯罪を立て続けに行ったのである。800メートルに渡って1メートル間隔に石を並べるには相当な時間が掛かるはずだ。それだけの労働は素面の時でさえもかなり疲れる行為である。それを酔っぱらって善悪の判断もつかないときにやれるのだから、ある意味この二人の学生は超人的な体力を持った馬鹿である。
線路への置き石は列車の脱線などの重大な事故につながる可能性がある。数十人の死者を出していたかも知れないテロ行為なのだ。いくら酔っていたとはいえ、そんな危険なことが平気でやれる馬鹿をこの世に野放しにしていていいのだろうか。そういう馬鹿は反省するとは思えないのである。もしも列車が脱線して不幸にして死んでしまった人が、自分の死亡原因が酔っぱらいの置き石だと知ったら悔しくて化けて出るしかないのである。夜な夜な枕元に立って恨み言を言うしかない。しかしこんな酔っぱらいは幽霊を見ても、日頃自分が酔って見ている幻覚の一種だと思って少しも驚かないのである。
日本にはアルコール依存症の人が82万人もいるという。その中に馬鹿はいったいどれくらいいるのだろうか。馬鹿率を少なめに1%と見積もっても8200人の危険な馬鹿がこの日本には存在するのである。いつ市民への無差別テロを起こすかわからないのである。そんな馬鹿は雪の中で裸で酔いつぶれてもらうしかないのである。
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