2004年05月26日(水) |
「世界の中心〜」をアホとさけぶ! |
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映画「世界の中心で愛をさけぶ」は究極の駄作である。こんな映画が多くの観客を動員するなんてことになれば、良い映画を作ろうとしている心ある人たちはやる気を失ってしまうに違いない。たまたま手に入った5月中有効の株主優待券を使って観たオレの率直な感想である。なぜ駄作なのか、それはこの映画にリアリティが全く感じられないからである。
小説とは基本的に究極のウソ話なんだからいくらでも絶世の美女を登場させられる。しかし映像はごまかせない。だからこそ細部を丁寧に作る必要があるのだ。まず、主人公の高校生時代を演じる俳優がカッコ悪すぎる。いくら田舎の高校で他に相手がいないといっても、ヒロインの長澤まさみが恋人に選ぶにはあまりにも不釣り合いだ。学園のマドンナのような美女がそんなブ男と付き合うなんてことは許されないのである。どうしてその男を選んだのか、恋愛における大事な要素がすっぽりと抜け落ちているのだ。
二人の最初のお泊まりデートが廃墟のようなホテル跡というのもムードなさすぎだ。あれなら原チャリでラブホに乗り付ける方がマシである。白血病が発病してからもおかしすぎる。白血病で髪がすっかり抜け落ちたヒロインは坊主頭になる。しかし眉毛はそのままというのは明らかに変だ。眉毛も抜けるのである。ガラス越しに婚姻届の用紙を見せる場面があるが、男の年齢が18歳に足りないからせっかく出しても受理されないぞ。おまえら法律を知ってるのか。おまけに隔離されている無菌室から連れ出したら普通は医師や看護婦に見つかるだろう。高松から飛行機で成田に移動して、そこからオーストラリアに飛ぼうとしたわけだが、その旅行の費用、しかも二人分が普通の高校生に出せるのか。
その直後にヒロインが死ぬ。ヒロインを病気で死なせることでとりあえず「泣かせる」映画には仕立てられたわけである。十数年の歳月が流れ、不思議な縁で失われたはずの最後の恋人の肉声が届く。恋人の遺志を叶えるために、主人公は世界の中心であるオーストラリアのウルルに向かう。しかし途中でクルマが故障しウルルを遠望できる丘の上で骨を撒く。世界の中心を目の前にしながら、その前で骨を撒いてしまってどうするんだ。最後に故人の遺志を裏切った形でこの作品は終わる。それなのになぜか、オレの周囲の観客はみな感動の涙を流していたのである。
こんなひどい話なんてないはずだ。映画に失望した人が原作はもっとまともだろうと思って本を買う。実はこの駄作にはそんな戦略が隠されていたのである。
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