2004年04月11日(日) |
桜の森の満開の下 |
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桜の名所として知られる奈良県の吉野山は4月10日、約3万本のシロヤマザクラが満開となり、4万人の観光客でごった返したという。ふもとの「下千本」は散り始めたが、標高の高い中千本、上千本は山肌を白く染めてここ4、5日がピーク。山頂に近い奥千本はこれからが見ごろという。
花見というとカラオケでへたくそな歌をがなり立てたり、酔っぱらって桜の木の下にゲロを吐いたり、前日から新入社員が場所取りをさせられたりと実際の所ろくなことはないのだが、昔から桜は死のイメージと結びついてきたことを忘れてはならない。
坂口安吾の小説に「桜の森の満開の下」と言う作品がある。鈴鹿峠に住む山賊が旅人を襲い、男は殺し女は自分の住処に拉致していた。その山賊はなぜか満開の桜を恐れるのだった。その下にいると気が変になると言うのである。ある時男はこれまでのどの女よりも美しい女を手に入れる。その女は、男の住処にいた女たちを、最も醜い女一人を除いてすべて殺すことを命じた。やがて女は男と一緒に都に行き、そこで男は女の求めに応じて次々といろんな屋敷に忍び込んでは財宝を盗み、殺して貴人の首を集め、女は部屋に首を並べて首遊びにうち興じる。姫君の首、貴公子の首、坊主の首と女の要求する首を男は手に入れてくる。いつしか男は人を殺すことも都の暮らしもいやになってしまう。男は山に帰ることを決める。女は男に背負われて鈴鹿の坂にさしかかる。満開の桜の下、突然背負っている女が鬼になったような気がして男は女を絞め殺す。気が付くと鬼はもとの女の姿に戻っていた。あたりにはただ桜の花びらと虚空だけがはりつめているだけだった。
平家物語にはこのような一節がある。一ノ谷の合戦で平忠度は岡部忠澄に討ち取られた。忠澄が忠度の箙(えびら)に結び付けられた文を取ってみたところ、「行き暮れて木の下かげを宿とせば花や今宵のあるじならまし」(日が暮れてしまって桜の木陰を宿とするなら、花が今夜のあるじということになるだろう)という辞世の和歌があったという。死を覚悟した忠度は、自分の亡骸の上に降りかかる花びらをイメージしながらこの歌を作ったのだろうか。
最初の神風特別攻撃隊の隊名は本居宣長の「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」という歌から名付けられたという。死出の特攻に赴く若者の心象風景もまた、散っていく桜だったのだ。良寛は「散る桜残る桜も散る桜」という辞世の句を残した。
満開の桜の下の美しい散歩道は、やがて無数の毛虫が這い回り、木から落下してくるケムシロードに変貌する。皮肉だが、それも自然の営みである。
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