2004年03月17日(水) |
和光大学のケツの穴について |
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和光大学と言えば岸田秀教授である。その著書「ものぐさ精神分析」(中公文庫)を学生時代に読んだオレは、「性の商品化は文化の基盤である」という辛辣な分析に思わず膝を叩いたものである。小さくても個性的な大学であるとオレは評価していたのだ。ところが現実は、ただのケツの穴が小さいだけの学校だったようだ。
オウム真理教元代表松本智津夫の3女アーチャリー(20)について、和光大学は合格を発表した後で入学を拒否していたことが3月15日分かった。三橋修学長は「当人が学内外で特異な存在になる一方、他の学生が平穏に学ぶ機会を奪う可能性もある。苦渋の決断だが社会的批判もあり得ると思っている」と語っているが、このような理不尽な決定を下す大学から文部省は補助金を剥奪すべきである。法治国家である日本で、ただ父親があの大量殺人鬼であるというそれだけのことで、基本的人権(教育権)が保障されないのである。法の下の平等が守られていないのだ。このような差別を許していいのか。
公安当局によると、アーチャリーは昨年も大学入試で合格したが、入学を認められなかったという。こんなひどい話があっていいのか。もしもオウム関係者の入学を絶対に許可しないのならば、受験案内に必ず「オウム関係者並びに松本智津夫の子女の受験は禁じます」と明記すべきである。
さて、アーチャリーはどこの大学を目指せばいいのか。倉木麻衣や広末涼子を学生集めの道具にするような大学ならきっと門前払いだろう。そんなところはゼニ勘定しかしていないからである。アメリカの大学なら人殺しの子を差別しないだろう。いっそ東大や京大を目指すというのもいい。国立大ならいかなる理由があっても日本の高校卒業資格を持っている日本国民を入学拒否できないはずである。父である松本智津夫も東大に入るのが夢だった。おそらく死刑になるだろう父親の遺志を受け継いで頑張ればいいのだ。
ただオレは、センター試験を受験したアーチャリーが、数ある大学の名からわざわざ和光大学を選んだことに対して大学は理解を示すべきだったと感じる。人間関係学部でカルト教団の本質について学びたかったのかも知れないからだ。残念なことは岸田秀教授の和光大学での授業が今年度限りということである。2004年3月定年なのだ。両者の運命的な邂逅が生まれなかったことはとっても残念なのである。ケツの穴の小さな連中はとにかく臆病で困るのだ。
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