2004年03月05日(金) |
恵まれない国にランドセルをあげます |
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人工皮革メーカーのクラレ(東京)が、押し入れに眠っている古いランドセル1000個をアフガニスタンの子どもたちに贈る計画をたて、提供者を募集している。小学校を卒業するとランドセルは不用になるが、処分するのにも抵抗感があり、押し入れにしまい込んでいる家庭は少なくない。「役立てる方法はないか」という問い合わせが多く寄せられるため、学習用具などが不足しているアフガニスタンへのプレゼントを企画したという。クラレでは、このランドセルにノート、鉛筆、クレヨンなどの文具を詰めてアフガニスタンの子どもに贈る予定だとか。何とも情けない話である。
どうして使い古しのボロっちいランドセルなんかを送るんだ。人様にものを差し上げるのに失礼じゃないか。新しいピカピカのものを贈ってこそ、誠意が伝わるというものである。オレも小学生の頃にはランドセルを使っていたが、オレの使い方が悪かったのか、ランドセルが安物だったのか六年ももたなかった。6年間使ったランドセルなど必ずどこかが痛んでいるはずである。クラレがすべて完璧に修理するのなら別だが。
アフリカに古着を送ったり、毛布を送ったりする話はよく耳にする。しかし、集まった古着には洗濯もしていない汚れたモノや破れたものが混じり、捨てなければならないものも多いという。誰だってよれよれの古着よりは新しい服の方が好きだ。例外なのは美女が着古して変色したパンティの匂いをかいで喜ぶ変態くらいである。物質的な豊かさに囲まれた日本人が、自分たちにとっては無価値だけど貧しい国の人なら喜ぶかも知れないという傲慢な気持ちから品物を送る行為ほど恥ずかしいことはない。本当に相手に喜ばれるのは自分たちにとっても価値あるモノである。ゴミを贈られた側が感謝していると思うのは大きな勘違いであり、相手は日本人の精神の貧困さを笑ってるかも知れないのである。
クラレという大企業にとって、ランドセル1000個などたいした負担ではないはずだ。ピカピカに光ったクラリーノの新品のランドセルをアフガニスタンに贈るくらいなんでもない。自宅に眠る不用品のランドセルを粗大ゴミに出して捨てる代わりに、貧しいアフガニスタンの子どもに恵んでやろうと思った人は、せっかくの気持ちをお金に換えて、1万でも2万でもクラレに寄付して、新品ランドセルを贈る費用の足しにしてもらえばいいのだ。
考えてもみろ。かわいい孫によれよれの古いランドセルを贈る祖父母など日本のどこにもいないじゃないか。
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