2004年02月26日(木) |
一粒の麦、地に落ちて死なずば・・・ |
携帯用URL
| |
|
沖縄でウインドサーフィンをしていた琉球大医学部の学生3人が行方不明になり、2人は助かったが、横浜出身の3年生の藤倉久太郎さん(34歳)が2月23日、遺体で見つかるという事故があった。
事件の経過を説明すると、琉球大のボードセーリング部員10人は2月22日、現場の海岸で練習していた。午後3時半ごろ、副部長だった藤倉さんが海から上がると、3年の女子部員(21歳)と2年の男子部員(20歳)が強風で流され始めていることに気づいた。
藤倉さんは転倒しにくい帆の小さなボードに乗り、救命胴衣を1人分持って海に戻った。6時ごろまず女子部員を発見し、救命胴衣を手渡したうえ、ボードを交換。女子部員は1時間後、陸にたどり着いた。その後、藤倉さんはもう一人の男子部員も見つけ、流されないよう岩場にボードをくくりつけ、一緒に夜明けを待った。だが23日午前6時半ごろ、突然の大波に2人とも流された。男子部員はボードにしがみついているところを巡視船に救助されたが、藤倉さんはうつぶせで浮いているのが見つかったという。
34歳の医学生藤倉さんは早大を卒業して民間企業に勤務した後に琉球大医学部に入学した。後輩の面倒見が良く、部員からは「兄」と慕われた。サークル顧問の岩永正明教授が助かった二人と面会した時、男子学生はまだ藤倉さんの死を知らず、知っていた女子学生は泣き続けていたという。遭難した部員を助けるために危険を覚悟で強風の海に戻った彼こそは、誰よりも医師となるにふさわしい人物であったとオレは感じるのである。
大学に入り直してまで医師を目指した彼の志が、このような形で不幸にも中断させられてしまったことが残念でならない。医師になって多くの人の生命を救いたかった彼の夢は沖縄の海に消えた。オレは「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにてあらん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。」という新約聖書ヨハネ伝の一節を思い出した。彼の死に涙を流した多くの人が、よりよく生きることを誓うならば、決してその死は無駄ではなかったのだと思いたい。その夢が受け継がれて多くの実を結ぶことを願っていたい。
大学に駆けつけた藤倉さんの父は、悲しむ医学生たちに向かって「息子が人を助けて自分が死んだと聞いて安心した。皆さん、いい医者になって下さい」と語りかけたという。一番泣きたかったのは、息子を失ったあなただっただろうに。
前の日記 後の日記