2004年02月06日(金) |
そんなに女が欲しいのか? |
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昔日本では「間引き」という風習が農村にあった。子どもが多すぎるとメシを喰わせられないので、生まれてすぐに殺してしまうのである。東北地方のコケシの語源は「子消し」から来たとも言われている。文明国家になってさすがにそんな野蛮な風習はなくなったが、日本は長らく中絶大国であり続けた。年間に10万人以上の胎児が妊娠中絶されてきたのである。それも育てていけない事情があるならまだ同情の余地はある。最近ではなんの不自由もない裕福な両親が、妊娠中に性別を調べて好みじゃないと中絶してしまうのだからもっと野蛮だ。韓国や中国では男の子が好まれて、男女比が180:100なんてアンバランスなことになってる地域もあるとか。
さて、受精卵診断という新技術、間引きや中絶という乱暴な方法に比べればいかにも科学の香りはたっぷりだが、不要なモノを「殺している」という点では全く変わりないのである。受精卵が数個に細胞分裂した段階で染色体や遺伝子を検査して、選んだ受精卵だけを子宮に着床させるので「着床前診断」とも呼ばれる。産まれてくる生命の性別を自由にコントロールできるので、実際にそれをやっちゃう医師があるわけだ。
オレは代理母には賛成の立場だが、男女産み分けなんてつまらないことのために受精卵診断をすることには反対である。子どもの性別が男でも女でもいいじゃないか。社会的性差がどんどん消滅してきた現代に「男でなければ」「女でなければ」できないことなんて、もはやほとんどないのだ。女でもばりばり仕事をして稼いでる人はいくらでもいる。税金無駄遣いの公共事業をガンガン進めているおばはん知事や、外国で若い男に援助交際しているおばはん作家などやってることはまるでおっさん顔負けである。今や男女にこだわることの方がナンセンスなのだ。
男ばっかり3人連続で産まれたから今度こそ女の子が欲しいと思っていてもやっぱり男が産まれてしまうから面白いのである。最初は女、次は男、その次も男なんて決めてしまって、家族計画を予定調和の世界に無理やりに詰め込んでしまってどうするんだ。人生というのは筋書きのないドラマだからこそ意味があるのだ。
それでも男女産み分けをどうしてもしたい人々がいるのなら、ここは日本の誇るコンドーム技術を生かして、特定の精子だけが透過可能な膜を使った製品を開発すればいいのである。Y染色体を搭載した精子だけが透過できる膜を完成させれば、男の子が欲しい人に飛ぶように売れるだろう。精子の段階で死なせるのならまだ許せる。オレはいったん受精卵となったものを殺すことに反対しているのだ。
それにしても産み分けを請け負った医師、いったいどれだけ謝礼をもらってるんだ。タダでそんなことするわけないだろう。それをゼニ儲けの手段にするのなら、たんまりと税金も払いやがれ!
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