2004年02月04日(水) |
子どもはすべて大人に学ぶのである |
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2月3日午前8時15分ごろ、大阪府和泉市のJR阪和線踏切で天王寺発和歌山行き区間快速電車が、踏切を横切ろうとした小学校1年生の男児に接触した。男児ははね飛ばされ全身を強く打って重体、この事故で快速5本が運休し2万人に影響が出た。
男児は下りていた左右の遮断機のすき間から踏切に入り、長さ10メートルの踏切を渡り終える直前に背中のランドセルが電車に接触したという。当時十数台の車や自転車、歩行者が待っていたが、突然のことで誰も止められなかったという。現場の踏切は朝のラッシュ時は遮断機が下りている時間がきわめて長く、登校指導をした際には遮断機をくぐって全速力で踏切を駆け抜ける児童の姿も目撃されていたのである。しかし、それに対する学校側の指導は「全校朝礼で注意する」だけだったのである。なぜ、保護者の協力も得て踏切の監視をしなかったのだろうか。誰かが立ち番して見守っていればこの事故は防げたはずである。
通学路に開かずの踏切状態のところがあれば、遅刻しそうな児童が遮断機をくぐって強引に渡ろうとすることは十分に考えられる。しかし、そんな危険な行為を最初にしたのは誰だろうか。子どもは常に大人の行動から学ぶ。信号を守らない大人がいれば自分も同様に守らないだろうし、遮断機をくぐって急ぐ大人を見れば、自分だってあんなふうに渡ればいいと思うだけだ。大人と子どもの違いは、電車の速さを目測して自分が渡りきれるだけの余裕があるかを判断する能力の有無であり、小学校一年の児童はその判断ができなかっただけのことである。もっとも判断力のある大人ならルール違反をしてもいいということではないのだが。
子どもはすべて大人たちから学ぶ。日本の将来が不安なのは、今の腐った大人たち程度のことしか将来の世代に期待できないからである。就学援助費で支払われた給食費や修学旅行費もパチンコで使い込むような親の子どもは、きっと無責任な人間に育つだろう。すぐにキレて家族に暴力をふるう親の子どもは、人を殴ることなど日常茶飯事だと思うだろう。歩きながらタバコを吸って吸い殻を道に投げ捨てる親の子どもは、同様に道路をただの灰皿としか思わないだろう。天下り先の団体を渡り歩くたびに巨額の退職金をもらうおじいちゃんにかわいがられた少年は、自分も官僚になって同じ人生を歩みたいと思うのだろう。上手に甘い汁を吸うことだけを学んだ卑怯な子どもたちが日本の将来を築いていく。オレは老後をそんな世の中で生きなければならないのである。なんとも嘆かわしいのである。
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