2003年12月29日(月) |
恋愛の不条理について(宅間守についての私感) |
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この世には結婚したくてしたくてたまらないのになかなか結婚できない男女が無数にいる。その一方で、どうしてあんなヤツがと誰からも思われている人がさっさと結婚し、あんなヤツだから当然のように離婚し、周囲からざまあみろと思われているうちにまたまた結婚するということがよくあるのだ。
大阪教育大付属池田小学校に乱入して児童を殺傷したあの死刑囚の宅間守も、これまでに四度も結婚(宅間守資料を参考)していたのである。そのうち一度は自分がかつて習った年上の女教師とだからまったくわけがわからないのである。まだ一度も結婚できない多くの人たちから見れば全く許せない話である。
私の同僚にも高学歴高収入、欠点といえば美少女アニメをこよなく愛することくらいという素敵な男性が居るが、結婚の気配どころか生まれてこの方彼女が一度もいたことがないのである。結婚とはかくも不条理なものなのである。
オレはかよわい女を殴るヤツというのは数ある男の中でも最低の部類だと常々思っているのだが、そういうDV野郎であってもすぐにいい女と再婚しその上紅白歌合戦に出たりするのである。NHKは断じて女性の味方などではないのである。
働かずにパチンコばかりしていてその上同棲している女からカネをふんだくって風俗店に行くような人間のクズはさっさと部屋から叩き出せばいいのに、なぜか女はそういう外道をかばうのである。そのヒモ野郎に貢ぐために自分が風俗店で働いたりするのである。もしかしたらまっとうな人間よりも人間のクズの方が結婚したり同棲したりするチャンスに恵まれてるのだろうかとオレは悩んでしまうのである。
そうしたさまざまな人間のクズの中でも最たるものはやはりあの男、宅間守をおいて他にないのだが、その死刑囚宅間でさえも結婚できるのである。自分は宅間よりもずっとマシだと思っているけどなかなか結婚できない多くの中年未婚男性にとってこれは信じられないことなのである。「宅間ができて自分ができない」その一点で自分の全存在が否定されたような気持ちになってしまうのだ。
その女性は宅間死刑囚の公判中に何度も励ましの手紙を寄せたり、菓子類などを差し入れていたという。「支えになりたい」と結婚の意思を表明した彼女にはぜひとも宅間死刑囚の支えとなってもらい、死刑執行後は今度は宅間の理不尽な暴力の前に失われた多くの命の償いのためにその人生を捧げてもらいたい。きっと彼女も甘っちょろい同情ではなく覚悟の上の行動なのだろう。その勇気ある人生の選択に拍手を贈りたい。
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