2003年12月11日(木) |
わたしのこと、忘れないでね |
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オレが書庫兼仕事部屋にしている部屋の入り口の扉には、内側から Don't you FORGET anything? と書かれた白い紙が貼ってある。もうずいぶん古びてしまって、文字も薄くなっている。外出する前に「何も忘れ物はありませんね?」と注意を喚起する意味のメッセージであるとオレは長いこと思っていた。
これを書いたのは、オレが就職して間もない頃に遠距離恋愛していた19歳の女性である。青山学院大に通う彼女は厚木キャンパスにほど近い海老名に下宿していた。何度かオレは男子禁制のはずの彼女の下宿にも泊まったことがある。大阪に会いに来るとき、オレから渡されたキャッシュカードから彼女は律儀に交通費分だけを引き出してそれで新幹線のチケットを買っていた。松任谷由実の「シンデレラ・エクスプレス」という曲が流れていた頃である。まぎれもなく、オレたちもそうした恋人たちの一人だった。
夏休みや冬休みの時期には長期間の旅行をしたり信州にスキーに出かけたりもした。冬の北海道に流氷を見に行ったこともある。彼女はオレの部屋にもたびたび泊まった。オレの親がそれを許したのは、将来必ず二人が結婚すると思っていたからである。
ところがオレが別の女性を好きになったためにその良好な関係は突然壊れてしまう。彼女から届く手紙はだんだん薄くなり、最後にキャッシュカードが送り返されてきた。(実はそのカードにはオレの姓の後に彼女の名が記されていたのである。)それきり彼女からの連絡はふっつりと途絶えた。その後オレはふいに懐かしくなって何度か手紙を書いたことがあったが、もちろん返事は来なかった。
あれから20年近い月日が流れた。たぶん今逢ってもお互いに相手が誰だかわからないだろう。記憶の中の彼女はいつまでも20歳のままである。40歳になった彼女と偶然道ですれ違ってもおそらくオレは「なんだこのおばはんは?」と思うだけだろう。相手も同じである。「なんだこのジジイ!」に決まってる。中年になってすっかり変わってしまったのはむしろ自分の方だからだ。
もうオレの部屋に残る彼女が過ごした痕跡といえば、入り口の扉に残る文字だけだ。クエスチョンマークは文字が薄くなってもうほとんど読めない。Don't you FORGET anythingになっている。
「なにもかも、忘れないでね・・・」
なぜ彼女は「?」だけを消えやすいペンで書いたのだろうか、20年経ってやっとオレはその意味がわかったのである。まぎれもなくこの女はオレのことを愛してくれていたのである。そんな大切な存在を自分は一方的に傷つけ、永久に失ってしまったのである。
忘れるわけないよ。オレはいつまでもきみが書いた文字をこうして残してるじゃないか・・・
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