2003年11月27日(木) |
自殺する前に考えなければならないこと |
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2003年11月25日付「毎日新聞」の大阪本社夕刊一面には、「生きる希望・砕いた言葉」というタイトルで、55歳♂と72歳♀のカップルが、説得されて東尋坊での飛び込み自殺を思いとどまった三日後に、新潟県内で命を絶ったという経緯をつづる記事があった。自殺を思いとどまった後に二人は三国町役場を訪れ生活保護受給の相談をしたが条件が折り合わず、東京への帰途の市役所で施設への保護を求めたが交通費を渡されて追い返されたとある。この記事を読んだ人はどのような感想を持つのだろうか。
もしかしたら、多くの人は追い返した町や市の職員のことを「血も涙もないヤツ」だと思うのだろうか。だったらあなたは見ず知らずの人がただ困ってるからとポンと数百万円のお金を差し出せるのか? 公的扶助の原資だってもとは税金なのだ。自分で一銭もお金を差し出さない人間が、自分のお金とは無関係の遠くの自治体の乏しい財政事情もわからずに勝手な批判を垂れる方があまりにも傲慢である。
このお二人のこれまでの人生がどのようなものであったのかはわからない。もしかしたら突発的な不幸な出来事でこの状況に陥ったのかも知れない。しかし、人生というのはその最終局面を穏やかに迎えられるように、長い年月の中で地道に努力して着実に築き上げるものじゃないのか。年金を掛け、結婚して数人の子育てをし、税金をきちっと納めてはじめて社会に対する義務を果たせるのである。結婚しない人間や結婚しても子供を作らない人間からまるで懲罰のような高額の税金をぼったくるのは、この社会が相互扶助という仕組みを持つ以上仕方のないことである。
完全に機能しているとは必ずしも言えないが、弱者を救済するための多くの仕組みが存在する。それでもセフティネットからこぼれ落ちてしまう人をなくすことは出来ないのだ。弱者を食い物にする多くの悪人もまたこの世には存在するからである。人は賢くならなければならない。マルチ商法やヤミ金融業者に騙されない程度の知恵は最低でも必要だ。そして目の前の人が信頼に足りるかそうでないかをを見抜くだけの知恵も同様に。
残酷な言い方かも知れない。自殺したお二人を責める気持ちは毛頭ない。しかしオレは言いたいのである。
「これまでの人生の中でセフティネットを築くための努力をきちっとされてきたのですか」
と。本当に困ったときに自分の力となってくれる家族や友人は、待っていれば勝手に出現するものではないのである。そうした存在を一人でも増やしたいと思ったら、日常生活の中で努力して築き上げるしかないのである。日々を生きるとはそういう営みのことである。
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