2003年10月10日(金) |
「わたし、待てないわ!」 |
携帯用URL
| |
|
岡村孝子といえばあみんの片割れである。あみんと言えばやはりあの名曲「待つわ」である。モテそうもない女が必死で男が自分に気づいてくれるのを待っているというせつない内容の曲であった。これをカラオケで唄うのはちょっと恥ずかしい気がする。
私待つわ いつまでも待つわ
たとえあなたが ふり向いてくれなくても
待つわ いつまでも待つわ
他の誰かに あなたがふられる日まで
この歌詞から考えるに、元祖ストーカー女の心情を唄っていたわけである。あみんは後に解散し、単体で売れる岡村孝子だけが芸能界に残留した。
その岡村孝子ファンの一人が野茂英雄であった。おせっかいなことに彼は「夢をあきらめないで」という岡村孝子の曲の入ったテープを肝炎で入院中だった石井浩郎に届けたのである。その曲を心の支えにして、夢をあきらめなかった石井は病を癒してグランドに復帰し、4年後に岡村孝子のコンサートに足を運んだのである。そこで彼は自分が歌に励まされたことへの感謝の気持ちを伝える。かくして平成8年1月頃から二人の交際がスタートしたのである。
ただ不幸だったことは、岡村孝子はほとんど野球に関心がなかったということである。彼女が観戦したのは石井の引退試合その一試合だけだったのだ。野球に興味がない野球選手の妻、夫が日々どんなものと戦っているのか果たして想像できたのだろうか。しかも、石井は一時期巨人軍の選手だったのである。巨人と言えばやはり球界きっての遊び人集団である。一緒に飲みに行けば元木も高橋由伸もみんな美女お持ち帰りだというウワサだ。その行動を傍で見ていた石井には岡村孝子のような美人の嫁さんをもらったということもさほど意味をなさなかったのかも知れない。数年を経て二人は別居に至った。
岡村孝子は、石井浩郎との結婚生活について芸能レポーターにこう語ったという。
「価値観が似ていると思ったが、結婚してみたら全然違った。わたしは寒がりだけど、彼は暑がり。出産間近に部屋を20度ぐらいのカチンカチンにされて『私を殺すの?』と思った」
オレもかなりエアコンをがんがん効かせる方だが、20度は確かに寒すぎる。これでは妻への思いやりに欠けると言われても仕方がない。せめて設定温度は22度くらいにしておくべきである。
夢をあきらめずに石井浩郎は今度は西武ライオンズの二軍監督に就任する。二人の間に産まれた娘は岡村孝子が引き取るという。別居状態になった夫の帰りを待てなかった岡村孝子は今度はどんな曲を出すのだろうか。ファンの一人として気になってしまうのである。
前の日記 後の日記